稲葉振一郎氏のブログへの書き込みについて

かなり感情的になって読んだその時点で稲葉振一郎さんのブログへ書き込んでしまったけれど、おそらくほとんどの人に意味は通じていないだろうのでどうしようか迷っていました。ところがそのエントリーに稲葉さんがトラバした梶ピエールさんが返答を書いておられ(http://d.hatena.ne.jp/kaikaji/20080717/p1)
それがとても参考になったので私も後出しくさいですが自分の考えをまとめてみます。*1

 私が書き込んだのは↓のコメント欄です。

http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20080715/p2

 エントリー自体はチベット問題に絡めた左翼批判で、はじめは何か問題にする必要もないと思っていました。私が怒った理由は最後にほとんど何の脈絡もなくベネズエラについて書かれていることです。このエントリーにベネズエラの話題をおけばそれがベネズエラの現政権への左翼の『擁護』への当てこすりととられて当然ですし、私はそうとりました。私が怒ったのはしかし当てこすり自体ではなく、稲葉氏が実はベネズエラにほとんど興味がなく*2昨年日本で報道されたこと(民間テレビ局の放送免許剥奪や憲法改正の提案とその国民投票による否決)をもとにテキトーに書いただけなのが見え見えだったからです。この「無神経な利用」への怒りゆえでした。ゆえにこの書き込みは私のベネズエラへの関心の強さに由来しているわけですしその点では個人的です。*3


 ですから私はヤフー・ニュースのベネズエラのページなどというものを紹介したわけです。もし何か書くのであればこの程度は読めということです、テキトーなことばかり書く人という認識が自分に定着してほしいのであれば別ですが。あわせてベネズエラを巡る報道の問題点が書かれたguardianの記事を紹介しました。*4既に私もエントリーで以前から書いています。*5それにしても「あるいは噂に聞くメディア規制のせいでしょうか。」にはあきれてしまいました。日本のメディアでじゃんじゃん流れてた「憲法改正に対するベネズエラ市民の憂慮の声」はどうやって取材したんですかね?。現在のメディア規制がどのレベルで問題であるかはそれこそヤフーでも読めばわかるのですが読まなかったのでしょうね。そこで二回目の書き込みを行ったわけです。日本のメディアはおおむねベネズエラの現政権にアンフェアなまでに批判的ですがそれはマスコミにとどまらないことも以前の書き込みの事情もあったので付け加えました。
 そのような前提のもとで以下のようにコメントしたわけです。

 無名の人の感想ならいざしらず、目立っているから取り上げてまるで調べもせずに無責任に意味ありげなことを書き散らす人はその発言に影響力があるなら速やかに消えてくれればいいと思います。そういう意味では関心など消えたほうがいいのかとすらうっかり書きながら思いました。

 以下はそこで紹介したかなり新しいレポートです。「現代思想」のカストロ特集号にベネズエラの記事を書かれている石橋純さんのものです。2002年のクーデターのときには「LATINA」に載った石橋さんの文章は日本語で読めるまとまった記述として極めて役に立ちました(「ラテンアメリカレポート」のが酷すぎたし)。*6

http://www2.jiia.or.jp/kokusaimondai_archive/2000/2008-07_004.pdf

ここからはチャベス政権の抱える問題点とともに、反対派は数においても力においても堅固であり良くも悪くも現在もきちんと活動できていることがわかるでしょう。他のラテンアメリカ諸国(明らかに独裁のキューバを除く)における反対派の位置と比較してみるのも必要でしょう。さらにチャベス政権の基盤の実情もわかります、「無知蒙昧な愚民」としかチャベス支持者を見ないがゆえに極端な独裁イメージも出てくるのです。なお、私は日本においてことのほか彼が嫌われているのは実は「無知蒙昧な愚民」というイメージが自らに向かってくることを感じての否認ではないかとうがって考えています。


 というわけで以上書いたことは梶ピエール氏の問題意識と一定は重なっていると思います。もちろん私は丸川さんと少しだけ知り合いですし、ちゃんと問題の文章を読んでから再考したいと思います。ひとつだけ気になるのは丸川さんは中国でなく台湾が本当にポジションを置いていることです。中国にポジションを置いている人が時に驚くほど台湾についてナイーブなことがありますから難しいところです(梶さんのことではありません)。まあこれは私自身何を書いているかもしれないし。それこそ私自身が三つ目のコメントに塩川伸明さんの

むしろ、共感する潮流の内部矛盾や欠陥をこそ、声を大にして強調すべきではないか。

 という言葉を肯定的に引いていますからそれに従うべきでしょう。もう一つ梶さんは

 丸川氏が『現代思想』誌上で見せたブレのない姿勢は、「今を生きる他者」=当事者への「応答可能性」に対して絶望的なまでに閉じられているがゆえのものだ、と判断せざるを得ないではないか。

 と書いていますが、このような書き方は「「応答可能性」など知ったことかくだらねえ」という立場、あるいは意図してそのようにかっこつけてみせる(それにまともな内実があろうがなかろうが)相手には通じないことが前提であるわけです。稲葉さんには当然通じることが前提で書かれているし、(以前の記事から判断して)丸川さんにもある程度はそうでしょう。私のエントリーもまたそれに準じているということです。通じないと判断すれば違った書き方をします。



 最後にかなり厄介で重要な問題です。稲葉さんはエントリーで塩川伸明さんの文章にリンクしそこにかなり依拠して書いています。*7しかし、はたして稲葉さんのエントリーの内容とこの文章は整合するのでしょうか?。まず梶さんから批判があった以上、

この感覚は塩川伸明氏が和田春樹氏を批判した際のそれと通ずるものであることは言うまでもない。

 という判断が問題になります。梶さんの怒りは塩川さんにもまた向けられるべきなのでしょうか?。これは稲葉さんがエントリーの何に反省したかという重要な問題です明らかにされるべきでしょう。*8

 
 次に、「中共のケツを舐める」ことと和田さんがしたようなロシアの急進改革派を支援することはどの程度共通するかするかです。また引用すれば

こういうわけで、一九九一年前後に、和田だけでなく、多くの日本や欧米のソ連観察者が急進改革派支持の大合唱をしたとき、私はどうしてもそれに同調することができなかったのである。

 現在日本や欧米で中国共産党支持の大合唱が起こっているとはとても思えないし、「ケツを舐める」という表現はそれが「みっともないこと」であることが前提となっています。実際、支持してもためらって支持する人が大半でしょう。これが無視していい差なのでしょうか。塩川さんの問題とした和田さんの振る舞いはこの前提なしにありえたあるいは問題にするに値したでしょうか?。

 さらにコメントで引用したように、塩川さんの

むしろ、共感する潮流の内部矛盾や欠陥をこそ、声を大にして強調すべきではないか。

 という部分が無視されているということです。稲橋さんは「共感する潮流」が人によって違うということを考慮からはずしてしてしまっている、和田さんは「急進改革派」をしていた。「「現代思想」の左翼」は「反資本主義運動」を支持している。塩川さんは自らの批判の前提として自分がどのような立場を支持したか明示している。それを援用するのであれば、自らの支持するものをはっきりさせるべきでしょう。

 それなのに稲葉さんは一般の人として

「悪いものは悪い」とはっきり言うべきなのであり悪い奴のケツを舐めるときには、それ相応の覚悟と戦略なしにやってはいけない。

 としか書いていません。しかし上に書いたとおり「〜の〜が悪い」という判断が一般にどう広がっているかという点で当時のソ連/ロシアと現在の中国ではまるで状況が違います。そしてこれは塩川さんの文章で和田さんによる社会主義理解の問題が大きく扱われていることに関係します。ここにこだわらないことが和田さんの「現実主義的志向」の現われとして把握されているわけです。

 少なくとも

和田はロマンティシズムに酔ったからというよりもむしろその「現実主義」故に革命主義に走ったのではないかというのが私の判断である。

 このような判断と稲葉さんのエントリーの主張が一致するかは非常に微妙です。第一義的には塩川さんの文章は「現実主義」の問題にあり、「ナルシズム」の問題は入っていないからです。*9ですからエントリーの後半で塩川さんの名前を出すことは非常に問題があります。塩川さんはただの一言も和田さんが「自分のために」悪いことを隠蔽しているなどと書いておらず、その上でその振る舞いを批判しているわけです、たとえ覚悟と戦略があってもです、つまりまるで主張が逆です。そうなるとそもそも引用の対象として適切だったのかという問題になるわけです。


 そして以下の「引用とリンクについての考え方」という注意書きがあるわけです。

http://www.j.u-tokyo.ac.jp/~shiokawa/ongoing/citation.htm

 これは主に未定稿について書かれたものですし、私もきちんと守っているとはいえません。ですが以下は重要でしょう。

 簡単にいえば、某氏が塩川の見解を引用して議論する場合、某氏の見解と塩川の見解は重なるところもあれば重ならないところもあるだろうが、そうしたズレに自覚的であることが望ましい。その自覚なしに、何となくいつの間にか某氏の見解と塩川の見解が二重写しになってしまうようなことは避けてほしい。

 他の場所での引用ではいざしらずこのエントリーにおいては上記の事態に近いことが起こってしまったのではないか。だとすればそれはきちんと明確にされるべきではないかというのが私が問いたい疑問です。これは最初に書いた個人的関心の問題の敷衍であるわけです。お二人に個人的に関係があるからこそ書くわけです。


 最後に私がこれを書いたのはまさにベネズエラの状況と当時のソ連/ロシアの状況は違うと考えるからです、あのような形で塩川さんの見解と杜撰に関係付けられてはいろいろな意味で耐えられないのです。

 われわれはまさしく和田の薫陶を受けて、このような指導者中心史観を克服してきたのではないかというものである。どうして、近年の和田の歴史叙述において、これほど大きなスペースが最高指導者に関する叙述で占められているのか、私には理解しがたいのだが、

 形はやや違ってもあまりに指導者中心史観でベネズエラ(ラテンアメリカ全体?)は語られすぎているからです。ただ私自身も実はそういう見方に傾きがちなのですが。そもそも塩川さんの「終焉の中のソ連史」においてトロッキーではなくトロッキー暗殺犯とそれをめぐる人々を書いた文章の中でのラモン・メルカデルが最後にたどり着いた場所としてのキューバと彼を招いたフィデルカストロについての記述が私の彼への興味のはじまりなのですから。最後は余計な私事になりましたが。



現代思想2008年5月臨時増刊号 総特集=フィデル・カストロ

現代思想2008年5月臨時増刊号 総特集=フィデル・カストロ

終焉の中のソ連史 (朝日選書)

終焉の中のソ連史 (朝日選書)

*1:既に反省の弁がありますが、http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20080718/p1

*2:http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20070112/p1のコメント欄参照

*3:同様の例についてはななころびやおきさんエントリーの引用の仕方も、http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20080330/p1 ネグリ批判にだけ利用しているのはやはり。なお偶然だけれどななころびやおきさんは最近同じ主題でこのような一連のエントリーを書かれています、http://blogs.yahoo.co.jp/isikeriasobi/54094217.html。関連して私のエントリーです、http://d.hatena.ne.jp/NakanishiB/20080329/1206754664。ただ無神経さがそれだけで罪になるという気もありませんが。さらにベネズエラの視点からみたネグリに批判的な文章もありますhttp://www.intcul.tohoku.ac.jp/~syoshida/LACS/Vol13/13hayashi.pdf なぜか今はヤフーブログを私のPCでは見れないのですが

*4:面白いです、http://www.guardian.co.uk/commentisfree/2008/may/22/seeingthroughtransparencyin

*5:http://d.hatena.ne.jp/NakanishiB/20080304/1204618504

*6:ちなみに同じ雑誌に掲載された太田昌国さんのいい文章がネットにあります、http://www.jca.apc.org/gendai/20-21/2008/hankasu.html

*7:これです、http://www.j.u-tokyo.ac.jp/~shiokawa/ongoing/books/wada.htm

*8:個人的には「和田が重視する「民族」とは、具体的な個々の諸民族ではなく、観念の中の「民族一般」だということを意味するのではなかろうか。」という一節に明らかなようにむしろ梶さんの批判のほうが塩川さんの文章とあっていると思います

*9:ゆえに「現実主義」とナルシズムに親和性があるのではという問題設定もありません

私が間違っていました(28日追記・29日追記、修正)


前エントリーの補足とコメントの返事の続きです
http://d.hatena.ne.jp/NakanishiB/20080525/1211680063


  私は書き込んででいませんが、エントリーの前提ということでコメントランもあわせてです。
 http://homepage.mac.com/biogon_21/iblog/B1604743443/C497052863/index.html


 えーと、まず愚かというべきか25日のエントリーにおける私のfuku33氏に対する判断は間違っていました。fuku33氏はもっとも重要なレベルで反省していないようです。そう考えた契機は↓にリンクします。

http://d.hatena.ne.jp/mujin/20080525/p1#c

 
↑のmujinさんのコメントをエントリーにしたもの
http://d.hatena.ne.jp/mujin/20080528/p1


 ですが、紹介されているのがfuku33氏のはてなスターの付け方であるように、ネットにおける無責任かつ自己中心的な反応に煽られたという側面が大いにあります。したがってここでは基本的には前のエントリーの補足と、id:shinichiroinaba氏への返答を書いていきます。


 さて反省していない部分とは次のようなところに典型として現れています(以下id:mujinさんのエントリーから引用)。スターによって指定された部分は強調しています。

ならば選択を強いる極北の例として、トリアージでわかりやすく解説だ!あくまで考え方を示すための極端な例として挙げた経営学トリアージを適用すべき、という話にもならないその時にいったん倫理の問題を切り離すことが人類の悲劇に繋がるとは思えない

どんな話でも対応次第で超新星爆発が起こせる!それがはてな村!/id:CrowClawのコメントに宇宙を感じる

授業の中の一コマで例として取り上げる事は問題ない。授業の断片だけでそれしか語ってないかのように見なしてるブサヨの恣意的誤読が問題。経営学の存在理由を説明しても拒絶する奴等の腐った脳には届かない。

リソース配分におけるトレードオフについて教える際に、トリアージを例にあげずにどうするの、とすら思うんだけどね

素晴らしいまとめ。これで全てが表現されているメタファーの誤読と感情的な反発の融合でそれぞれが言いたい放題言っただけ

 もちろん、もっとまともなスターの付け方もありますがそれはリンク先でお確かめください。ただこのように自分の意見の保持すべき部分を明らかにするのであれば、これまでに自らがコメントしたブログにも知らせるべきでしょう。*1


 とりあえず、この騒動においてはある種の対立の図式化がされてがしまったのは確かです、私もその一方に位置づけられてしまう。その上で書きますが、これほどの騒ぎが起こった理由の一つは元エントリーを明記せずに削除したことにあるのは確かでしょう。これは図式化以前の問題だと思います。本人の判断もありますが誰もそのことを忠告しなかったのでしょうか?。

 ここから稲葉氏への返答を交えます。稲葉氏のコメントは↓にあります。私(およびApemanさん)の返事もありますので参照ください、。

http://d.hatena.ne.jp/NakanishiB/20080525/1211680063#c



 ここで問題にしたいのは稲葉氏のfuku33氏のエントリーへのコメントです

http://d.hatena.ne.jp/fuku33/20080522/1211444127#c1211598950

http://d.hatena.ne.jp/Wafer/20080523#p2の厳しいお叱りを胸に刻んで、そろそろ黙ってください。そして何事もなかったように先に進んでください。これ以上(たとえばtoledのような)バカに餌をやらない。こういうバカを自分でも何度か繰り返した愚か者として忠告いたします。

 最初に書いたとおりここでの忠告は半分しか守られていません、明らかに『そして何事もなかったように先に進んでください』をきちんと聞くことができなかったのです。にもかかわらず、学んでいることもあります。それが『これ以上(たとえばtoledのような)バカに餌をやらない。』という部分です。この文をどう解するかは受け取り方によりますが、敵対関係の図式化の薦めとして読むことも可能です、toled氏は影響力が大きいのは確かですが、決して「最初」の特権的コメンテーターではありません。前回のエントリーでも挙げたとおり、ブクマコメントでも彼の名前を繰り返しています。ちなみに正直言って私にはあまりできがよくないと感じられたのでスターはつけなかったはずです。ただ、ここでは彼の名前の「バカ」付きでの強調が、他のネット上での反応とともにfuku33氏を上記のようなうな居直りに導いた可能性は指摘できます。そして『何事もなかったように』の部分を忘れたのです。Wafer氏がfuku33氏をmujinさんを引き合いに出して批判したのはトラックバックをしてこないのは卑怯だという「エントリーの記述内容」とネット上の慣習の問題であったことは重要です。このTBに関する記述が後で消されたことも含めて「バカなこと」の本当に具体的な例であるわけです。稲葉氏はこの具体性をとりあげず、toled氏に対する批判をした。その結果として現在の状況を理解することもできるのです。

 コメント欄から続けます

 ぼくには「つまんないけどリスク回避のために厳格主義を貫け」しか思いつきません。仕方がないです。

(Mmujinさんのエントリーを無視したことは)不正確ではあっても支離滅裂ではないと思いますよ。

本当にfuku33氏のためを考えていれば、優柔不断な愚行ということになるのではないでしょうか。厳格主義を貫いたともいいがたい、もちろんその必要があるのかは別ですが。

たいした問題になるとしたら、それを周囲であおった人たちに、当事者がさらに乗せられてあたふたした場合のみです。

 はてなギャラリーの皆さんは別に困りませんよね。ここから娯楽を得られて結構なことですよね。それだけならみんなが飽きるまで延々炎上が続いても、別にかまわないと思います。しかし彼には受講生たちがいますのでね。ここら辺で打ち止めにしたほうがいいでしょう。

失礼ながら個人名は特定せず「ひと山いくら」で fuku33氏に似たような趣旨のコメントをしていた人たちを扱ったわけですよ。後付け的にいえばもちろん、toledさんもhokusyuさんもこの山に入れてますけど。

でもそういうのって「差別語」タブーがルサンチマンを余計に書き立てて差別意識をかえってあおりかねないのと同じようないやな副作用を持ちませんかね。そりゃもちろんぼくだってfuku33氏はマッチョなセクシスト風のところがあるとは思いますよ。しかしそれに関して、用もないのに頭ごなしに説教するなんて逆効果でしょう? 

 手っ取り早い対立の図式に押し込んだ方が鎮火が早いというのならそれは一つの判断でしょう。その方がfuku33氏に受け入れやすいのならなおさらです。そのような図式化において、自らが属する側の問題点を荒立てることを望まないというのならそれもそうでしょう。ただ、次のような発言とはどう整合するのでしょうか?(はじめから念頭にあったのです)。

http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20041122/p3

 ネット上の問題とここでの言及の事件ではレベルが大きく違うことは認めます、しかし、これは「左翼」にのみ求められことなのですか?。ともあれそう求められるのは「左翼にとっていいことではあるでしょう。その上で「左翼」は「そちら側」の失態は嘲笑していればいいのですか?。

 fuku33氏のエントリーに戻ります。いくつか批判的なリンクを貼ったので詳細はそこを参照していただきたいのですが、元エントリーだけであれば確かに「たいした問題」ではありません。差別的で(トリアージに関して)トンチンカンであり、しかも容易に相手にばれてしまうような罵倒をネットで安易に公表してしまったそれだけです。だが、エントリーにこのような騒ぎになるにあたってその容易に噴出してしまう素因がいくつも埋め込まれていたことは指摘しておくべきでしょう。

 削除の中で注目すべきはセクシズム的な部分と大学の状況に関わる部分ですが、問題はこれがfuku33氏の思考の短絡ぶりと固定観念を示していることです。もともとほとんど勘違い気味に「トリアージ」を導入したことが問題ですが、ある女子学生から一気に「女性」へ短絡すること自体が「トリアージ」を自説の材料として扱うことに関する批判の有力な根拠になるのです。つまり、この短絡は具体的な大学の現実に接続されることで、そのような紋切り型を伴った短絡がfuku33氏の思考のパターンと疑わせます。そのことは

 社会問題を感情的に批判していれば解決するとでも思っているのだろうか。誰か悪意の人がいて、それを取り締まるべき人がまた心がけが悪く責任を果たしていない、だからそれに文句をいえば社会は良くなる、みたいな社会観が根底にある気がする。

 このような発言の捉え方をも非常に微妙にします。先ほど指摘したような短絡があると想定されたときにこの発言自体が発言者に返ってくることです。それはid:mujinさんの批判の中心でもあります。そして、「トリアージ」という言葉の適用の無原則な拡張という危惧を強くしてしまいます。

 以上のようですが、文句が出たらきっぱりと取り下げておけば話はずっと早く収まったでしょう。fuku33氏を含む「政治的意図を伴った勝手な深読み」がされていると主張する側は、あちこちに散らばったコメントや、削除された部分を含めて発言するべきでしょう。そしてこの削除こそが騒動を拡大しました。

 ですから繰り返しになりますが、稲葉氏はここで「厳格さ」を欠いたのです、それが「遅きに失した」のでたいした影響を実質的にもたらさなかったとしてもです。その場合はこれは、fuku33氏に対する稲葉氏の誠実さの問題ではないのでしょうか?。これが4年前のエントリーを援用した理由です。彼の「セクシズム」に対してきちんと対応しなかったことはそうとられても仕方ありません。fuku33氏を「大人」として扱っているのかということです(これは私の意見ですが「大人」として叱るにはそれが必要なのではないでしょうか?)。とはいえ今の彼の意見がこのエントリーの最初にのようなものであればまさに余計なお世話かもしれません

 と、稲葉氏に対しての答えをかりて述べてきましたが、本当には自らのアイデンティティに関連するある象徴的な出来事を図式に押し込め、自らへの無害化を図るということと、それがどのような過程で起こるかを問題にしていました。そしてそれは現実の権力やそれぞれエージェントの社会的的制約と結びつくときにファシズムという問題として現れるわけです(まあ正確にはファシズムはこのエントリーで述べてきたような単純な現象とは考えないのですが他に言葉が思いつかない)。稲葉氏がファシストだというわけではないのです。むしろそういうことをご存知のはずでしょう?と問いたいのです。そしてこのような「陳腐で日常的な例外状態」にそこに至る問題は表れるのではないですかと?。


 重要ですが時間がないので短くです。

 「差別語」タブーがルサンチマンを余計に書き立てて差別意識をかえってあおりかねないのと同じようないやな副作用を持ちませんかね。そりゃもちろんぼくだってfuku33氏はマッチョなセクシスト風のところがあるとは思いますよ。

 さすがにこの発言はちょっと困るので。とりあえず「差別」についての意見としてずさんです差別については議論をはじめるときりがないのでごく簡単に。まずはじめに差別行為は既に起こっています、その行為への対処として話を進めます。fuku33氏の性格と行為はこのよう場合峻別すべきでしょう。たとえば、2ちゃんやブクマコメのようなところであふれてる差別コメントをどうするのかは非常に微妙です、規制というのがまずいことはわかります。しかし、fuku33氏はたとえネット上であってもまるで違った行為をしたわけです。ある社会的権威をもって「特定の個人」(たとえハンドルでも同じです)が特定の位置でしたのです。私にはまるで知らない人ですが、稲葉さんにはそうではないでしょう、図式として近くにいるわけでしょう?。だからこそ、リスクを覚悟してするべきではないのでしょうか。それとも25日のエントリーのブクマの指摘のように考えているのならもう言うことはありませんが。そして「原因の一つとしての性格」と「行為」は峻別してから批判するべきです。その峻別をしなければ「悪しき糾弾」と同じ錯誤を抱えて振舞うことになると思います。では失礼しました。

29日追記

 それにしても束縛的価値観は正しかったんだなーと思ってしまいそうになります。
*2

 またネット上の議論の問題としてどう考えるか、↓にコメントしました。ネット上は常に現実であるという前提以上に話が大きくなりそうなので率直に言って怖いのですが。

http://d.hatena.ne.jp/mescalito/20080528/p1
 

「公共性」論

「公共性」論

「超」言葉狩り宣言

「超」言葉狩り宣言

 これは安いw

「廚であるとはどのようなことか」(26日・追記・修正)

 どうも先日からはてなでのある騒動についてあちこちコメントしているので、個人的な意見とリンクを書きます。

http://d.hatena.ne.jp/fuku33/20080522/1211444127
 
 問題のエントリーが↑ですが、いくつもの削除が明記せずに重ねられています。そのためブクマコメントや後から書かれたエントリーなどでかなりの混乱が起きています。原文の再現を参考にリンクしますが、私すら憶えのない部分があるので正確さは私にも不明です。以降で私が提示するコメント先の参考のためにお読みください。*1

 上記のエントリーとfuku33氏のその後の行動への評価は私のコメント先をお読みいただきたいのですがとりあえず抜粋すると(下記でコメントしたと挙げられているエントリーからです)。

fuku33氏はある時点で自分がエントリーで書いたことは事実確認のレベルから間違っていると認識したのだと思います。それ以後はその前提でコメントやブックマークをしていると

問題はfuku33氏がおそらくは自らの正当性を確信していたであろう時期に自分のエントリーを明記せずに修正してしまったということです。ですから元エントリーのどこが間違っていたのか、どこは撤回しないのかきちんと説明しなければ

 しかし、あのエントリー自体の問題点とそれがもたらした効果については別です、「感情的な連中≒女性」に批判を集中するという「誰か悪意の人がいて、それを取り締まるべき人がまた心がけが悪く責任を果たしていない、だからそれに文句をいえば社会は良くなる」と形容できる考え方はコメントやあちらやこのエントリー自体のブコメに頻出しています。トリアージのような例を出しては自分の「ヒロイズム(マチスモ)」を満たそうとするということのヤバさ(そしてその可能性を考慮しないこと)の指摘には最初も現在も賛同しています。

 (少し修正しました)

(fuku33氏は)きちんとした確認もなしに「感情的な人」を想定して頭ごなしに批判するということをやってしまったと思います。そしてエントリーを書いた時点での動機についてはmujinさんの解釈を否定することはできないと思います。性差別のレトリック(学級会!)に短絡したことがその傍証になってしまっています。

 (カッコ内は補足しました)

正直言ってあれだけセクシズム丸出しのエントリーに好意的にブクマコメントできる神経がわかりません。この問題は明らかにこのセクシズムにいたる短絡と、「緊急事態」や「トリアージ」を自らの感情の慰撫のためにもてあそぶことの現実に繋がりかねない問題性にあります。そのような前提をすっとばして紋切り型による「空気」を作るという意味でブクマコメントなどの二次テキストのほうがやはり問題だと思います。

 以上、私自身は現在のfuku33氏についてはぜひとも削除された記述についてきちんとけじめをつけてほしいということを望んでいますが、むしろ反応のほうを問題に思っています。ここではとりあえずいつも現れるごみブクマなどは触れずに、私の個人的事情が絡んだ反応を一つだけ問題にします。そのために時系列的に書くとまずに最初に読んだのはここです、はてなスターもつけてしまいました。

http://d.hatena.ne.jp/mujin/20080523/p1

 ところがその後次のようなブクマを目にしそれがついたエントリーを読みました。

http://b.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20080523

http://d.hatena.ne.jp/muffdiving/20080522

 一応はてなスターを付けた身ですから、「「葛藤がない」とかほざいてるやつは謝れ。」という呼びかけに応じて(私宛では直接にはないわけですが)、私はいろいろとネットを探して、mujinさんのエントリーに書き込みました。三回目以降は次のエントリーに書かれています。

http://d.hatena.ne.jp/mujin/20080524/p2

 また次のエントリーにもコメントしています。これは自分の関心領域に近いことが書かれていたせいもありますが。

http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20080523/p1

 最後にいつものことですがここにコメントしています。
 
http://homepage.mac.com/biogon_21/iblog/B1604743443/C497052863/E20080524113420/index.html

 基本的な結論は上に抜粋したとおりです。ところが驚いたのは次のブクマです。

http://b.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20080524

 問題はこのブクマがついていたエントリーの内容です。

http://d.hatena.ne.jp/Wafer/20080523#p2

 読まれればわかるとおり、このエントリーはmujinさんのエントリーを扱っています、それにつけたブックマークは忘れて、「厳しいお叱り。以て瞑すべき。常野みたいなバカを相手にして、バカがうつったというわけですね。」と書いています。自らが「謝れ」と呼びかけた相手はどうなったのでしょうか?。バカがうつったのであれば、mujinさんからうつったのではありませんか?。toled氏は「葛藤」なんて書いていませんし、エントリーも後からUPされています。shinichiroinaba氏はご自分の書かれたことを忘れたのでしょうか。*2

 もう一度fuku33氏のエントリーを覘くと、shinichiroinaba氏のコメントに次のような文があります。*3

これ以上(たとえばtoledのような)バカに餌をやらない。

 
 shinichiroinaba氏はtoled氏を失態につけこんでくる悪質な発言の代表にしたいよのでしょうか?。ですがだったら「謝れ」と公言してしまったことも忘れないでいただきたい、そちらは無視していい理由が何かあるのですか?。おそらくは本気でfuku33氏を心配してエントリーへのコメントをしたことは理解できます。ですが、何が問題だったのか自らの立場をきちんと明示することをせず、自らこれまでの記述から疑念を与えてしまうような図式を示してしまうのはまずいでしょう。このような言説実践は、shinichiroinaba氏が「公共性」を自らの学術的かつ政治的な問題として、社会科学を含む学術の擁護を戦略的に行おうとしているのですから行ってはならないはずです。それでも、「本質的な論点」や「学術的常識」のような言葉をつぶやきながらうなずく方々も大勢いらしゃるでしょう。しかし、そうでない相手もまた説得しようとしなければならないのではないでしょうか?(これは自分にも返ってくる問いだとわかっています)。そうでないのならshinichiroinaba氏の目的は現状追認のレトリックを紡ぐことを超えるとは思えません(それが氏の仕事の意義をすべて抹消するとは思いませんが)。*4

 「謝れ」という言葉への反応は今回は私がしたことです、shinichiroinaba氏が直接に意図したことではないので私の動機を本当に越えるかはまだわかりません。ですがあえて書いておきます。

 最後に私が昔やらかした失態をリンクしておきます。果たして私がきちんと対処し、少しは失態から学んだか自信はありませんが(はてなスターも付けすぎですし…)。

http://d.hatena.ne.jp/sk-44/20071028/1193584175

 最後に、私のブログを少し覘けばわかるとおり、私と稲葉振一郎氏とはまあ以前もやり取りしたことがあるわけありなわけです。今回は感情的になってしまったのであえて直接書きました。読んだ方が何だこの粘着と思われればどうにもいいわけができません。 

 追記・トラックバックがとおりませんでした。id:mujinさん、id:shinichiroinabaさん、fuku33さんの当該記事に送ったのですが…。

 追記・26日

 こちらに多少エントリーの理解の参考になることを書き込みました。

http://d.hatena.ne.jp/mujin/20080525/p1#c

ネグリはポール・マッカートニーである・追記30日

http://d.hatena.ne.jp/NakanishiB/20080304/1206398916
 これの続きです

 http://blogs.yahoo.co.jp/isikeriasobi/52684138.html

 というわけで追加しそこねてたリンクを。要するにスティグレールは有名人(スター)ではなかったからというのが正解のようです。ついで書けば中国(イスラエルでも)はスター(大国)だけどブータンはスターではない。だから前者のシュールさはネタになっても後者のシュールさはならない。そう書いている私自身がキアロスタミアメリカへの入国拒否は知っていても、バフマン・ゴバディの入国拒否は知らなかった。もちろんキアロスタミはスターです。*1
 http://www.ryokojin.co.jp/tabicine/waga_kokyouno_uta.html
 「マルチチュード」についてはかつて「マルチチュード禁止」という秀逸な警句を発した人がいました。私から考えればこれはマルチチュードは存在するからこそですよ。世界中の「ネウヨ」が大方同様の行動をするのを見てください。中国は先進国ではないのにです。いや国内だってまるで状況の違う人々が「普通でない人」やスターやマスコミへの嫌悪では一致するのですよね。それゆえ彼らの存在に依存している。かく言う私も石原慎太郎都知事閣下についてちょっとはそうだったりします。この意味で「マルチチュード」は存在するからこそそれを語れないわけです。なぜならそれは我々であるからです。これはブータンと日本が同じ近代国家であるのと同様です。我々は「先進国のパスポート」や「住民票」や「学歴」や「親のすね」や「ネットへのアクセス」の有無がどのような断絶を生んでもそれが存在しないように(正確には存在することが「仕方ない」ように)しようとするのです。このような否認の行為もスターへの依存とともにどちらも我々が「同じである」、つまり「マルチチュード」であることを確認しつつ拒否するものでしょう。そしてこのような行動の中に我々が同じ「人間」であるということが裏返しになって貼りついています。だとすれば、スターの不在はもう一度そのことを曝すでしょう、ジョンレノンじゃなくてポール・マッカートニーでも。正確にはそうしなければいけない。それは私自身がフォアマンの上演のタイトルをもじれば「小泉は退場した、私の生は空虚だ」という状態になっていたからです。それもそろそろ何とかしないと。でも、このエントリーはネグリの「マルチチュード」と何の関係もないな(^_^;)。*2 
*3 *4
*5

 http://www.negritokyo.org/geidai/

 追記・30日

 わざわざ一連のエントリーを紹介したのは自分でも微妙でした、要するに問題になるのは先進国のパスポートを持っている人なのですね、上に挙げた名前ならスティグレールジョニー・サンダース(ブクマで教えてもらうまで知らなかった)ですね。彼らはともかく先進国のパスポートを持っている上に何もしていない立場から書くのは微妙ですだから自分でも意味不明な文章になっちゃう。やはり我々はゴバディですらないんだよ(キアロスタミでもないが)。だからスターには意味があるんだよ、スターをもてはやしてないから(あるいは自分はスターでないからw)えらいってへぼすぎる妄想だよ。またもじれば「この小泉を生んだ母胎はまだ生きているのです」。紹介したエントリーは単純にネグリについてのものではないはずだし、それを無理やり自分の文脈に落とし込んだけどこれはもちろん私の責任。

 ブータンのことはこっちのほうが関連が深いか
  http://d.hatena.ne.jp/Domino-R/20080325/1206472324

血なまぐさい時事ネタを二つ(追記修正5日・6日)

 どうもまるで更新ができていませんでしたが、とりあえずあまり考えずに書ける時事ネタです。一つはイスラエル/パレスチナのこと。ご存知のとおり、ここ数日のイスラエルによるガザ攻撃で百人以上の死者が出ましたが詳細は専門のページやニュースで。*1
 *2
 *3
*4

 もう一つはエクアドル領内のゲリラの基地の襲撃にはじまるコロンビアと周辺諸国の対立ですが。こちらもニュースを。 
  *5
 *6 
*7

 どちらも詳しくはBBCを見てください、別にBBCが際立って公正で事実を丁寧に報道するわけではありませんが、正直言って日本のニュースは実にテキトーにかかれてますから。あえて毎日から例を挙げればこれとか

http://mainichi.jp/select/world/news/20080303dde007030060000c.html

 ある男性(47)は「イスラエル軍に報復されてロケット弾攻撃の代償を払うのは武装勢力ではなく、我々だ」と憤りを口にした。

 このような発言があったことは疑えないし、ちゃんとレポートしたことは評価しますが、イスラエルが暗殺作戦で容赦なくハマスなどの幹部を殺していること考慮に入れればまるで引用の意味はおのずと異なってきます。テロリストと無辜の住民を分ける恣意的に分けることで、イスラエルの行動を正当化する役に立っているとは言えるでしょう。ハマスが選挙で選ばれたことすら忘れているようで。こっちはBBC*8

 ラテンアメリカ関係はもっとひどいんだけど(明らかに記者に問題が)、そもそも三ヶ月前の記事が保存されていないので省略。とりあえずベネズエラ国民投票否決についての日本語の記事はこれ。*9最低、反対派ほとんど得票を増やせず、チャベス派の棄権が最大の敗因だったことは押さえてほしいです。「Economist」ですらこの辺をきちんと考えて書いていない。*10私の参照のページなどは以前の記事を。*11

 とりあえず、今回の一連の対立は日本の報道ではほぼわからないけれどコロンビア側の行動がはっきりと先にあることは指摘しなければいけません。

http://blogs.yahoo.co.jp/isikeriasobi/52344289.html
 なにはともあれこのエントリーを引用したかったわけです。最初に見たときに比べると、ずいぶん内容量が増えているのは基本の構図と(まともな国際法の常識)を日本人がさっぱり理解していないことを知って付け加えたものでしょう。コロンビアのウリベ大統領は、私は極めて批判的ですが、バカでも軽挙妄動するタイプでもない。そもそもの背景は、先年から続くFARCとの人質解放交渉でベネズエラが一定の人質の解放に成功をしていることにあります。*12
 *13
*14
*15
 この状況は、仲介を要請しながらすぐに喧嘩別れになったコロンビア側には極めて痛いわけです。そのような成功は犯罪者を利しているだけだと批判もできるでしょうがここでその是非は問いません。しかし、FARCの交渉担当者を狙っての越境軍事作戦はこの事態が続くことを阻止することを意図し、結果としてそうなり、軍事的にもFARCに対する優位を手に入れました。*16だが同時に侵入されたエクアドルとの関係を悪化させることは初めから確実だったわけです。それでもあえてやったのことに、軍事力を背景にしたコロンビア政府の意思が見て取れます。ベネズエラに対する「麻薬戦争」や「反テロ戦争」への非協力、さらにはFARCとの協力しているという非難は2月には現れてきていました。そうみると今回の攻撃での「発見」にはコロンビア側に「当然のこと」であるわけです。
*17
 *18
  *19
 問題はこのコロンビア側の本気さ(軍事力は圧倒的に上ですから)を、ベネズエラエクアドル側、特にチャベス大統領、がどれだけ踏まえているかが気がかりです、このコロンビア側の本気さの判定においては欧米のメディアもいささか楽天的に過ぎるようです。とはいえ、通常ならエクアドルは屈服する(かさらに悪い結果)しかなかったでしょう*20
*21
 ともあれコロンビアの準軍事組織と政府の癒着は厳然とあ利ます。人質解放が内戦を終結させるのにどういう役割を果たせたかは微妙ですが、人質の解放が止まるのだけは確かでしょう。まあ、日本人は好き勝手な思い込みを喋っていればいいですが。

 もう一つ、今回のガザ侵攻に当ってのイスラエルのマタン・ビルナイ副国防相

カッサムロケット弾がさらに撃ち込まれ、遠くまで着弾するようになれば、パレスチナ人はわが身のうえに大規模なショアーホロコースト)を引きよせることになるだろう。

 という発言です。*22 
 *23
 *24
 これ自体絶句するようなものですが、イスラエル政府の弁解は輪をかけてひどい、「この言葉でジェノサイド意味してはなっかった」ですから。ホロコーストは第一義的にはナチスによる虐殺と絶滅政策総体(もしくはその中のユダヤ人の抹殺)をさします。転じて類似の大惨事を形容するのに使われますが、「ショアー」は特にユダヤ人にとってのナチスの絶滅政策を意味します。もしこの言葉が、虐殺を意味していないとすれば、イスラエル政府の主張していることはホロコースト否定論とほぼ同義ということになるでしょう。イスラエル政府の見解がホロコースト否定論とは…。だとすればハマスのこれなんて穏健なものです。*25
 事実上のホロコースト否定論にイスラエルが侵食されているとすれば深刻な問題でしょう、それはファナティシズムによるというよりはむしろ「現実主義」によるものです。このようなし崩しの事態の進行は今後も続いていくでしょう、それは私たちのことでもあるでしょう(って防衛大臣は一応辞めたね)。とはいえ、イスラエル国民のかなり多数がハマスとの停戦交渉を望んでいるのはほっとすることです、ハマス側はすでに停戦交渉を求めていますし。にもかかわらず政府が独走するとすれば、議会制民主主義にとっても深刻な問題になるでしょう、これも私たちにとっても問題であるはずですが。その点も日本は気楽なもんです。*26

 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080301-00000006-jijp-int.view-000

 まあ否定論にも寛容ですし、度量が広いというか

 追記5日
 コロンビア政府のその後の主張は私にはどうにも荒唐無稽に思えます。
*27 *28
 問題は戦争というのは一方が意思を貫徹すればそれで起こせてしまうことです(程度の差がありますが両者で非対称は特徴です)。地域諸国の間ではコロンビアへの批判が強いのでそれが現在のところ歯止めにはなるでしょうが…。

http://blog.goo.ne.jp/bokushi2235/e/d4c5385b1133c7ea4703a66a038797a8
 国内の問題を念頭に書かれたエントリーですが、基本で関係があるのでリンクします。

追記の追記5日

 いしけりあそびさんの追加のエントリーが来ました、こちらにリンクなさってます。一応言い訳を書きますと最初のエントリーに私がこれまで付け加えたのは、日本での反応があまりにパターン化しているのでそれにうんざりしたからです。で肝心のそもそもコロンビア側に違法性とあえて事を荒立ててまでそれを行う背景があったということはまるでなかったので。

http://blogs.yahoo.co.jp/isikeriasobi/52360526.html

http://blogs.yahoo.co.jp/isikeriasobi/52364962.html
 日本とははまるで違うということで。ところででこの新聞記者の方ってY新聞で今イギリスで北アイルランドについて健筆を振るっている方でしょうか?FARCについてのチャベス大統領の発言は2月末に4人の人質解放があったのですから今も交渉相手で、リップサービスが過ぎたというところではないでしょうかいかにもまずいですが。

 さすが日本以外ははだいぶ冷静なようです。それにしても、ウリベ大統領がチャベス大統領を国際刑事裁判所に告訴って、それは薮蛇でしょうとしか言いようがないのですが。*29  
*30 
*31
*32

 今回やや先走って書いてしまったのはちょっとこれを読んだときのことを思い出したからです。というわけで追記でした。

サッカー戦争

サッカー戦争




 とりあえず

さらに追記のリンク・6日
http://blogs.yahoo.co.jp/isikeriasobi/52376489.html
 かなり手際よくOASではまとめが行われたようです。


http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20080305/p1

いい加減うんざりだけど追記・6日

http://mainichi.jp/select/world/news/20080306k0000e030014000c.html
 さすがにここまでぬけぬけ書くのは感心しました、早く栄転してください。*33

追記・8日

 ラテンアメリカの問題のほうはひとまず落着したようです、

http://blogs.yahoo.co.jp/isikeriasobi/52404991.html

http://news.bbc.co.uk/2/hi/americas/7284597.stm

http://www.afpbb.com/article/politics/2361292/2713439
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.afpbb.com/article/politics/2361292/2713439
 私も気づかなかったけど、合衆国はリオ・グループに入っていませんよ。


 中東のほうは…。


 

*1:http://www.afpbb.com/article/war-unrest/2359247/2699300

*2:http://news.bbc.co.uk/2/hi/middle_east/7273821.stm

*3:http://0000000000.net/p-navi/info/news/200803032354.htm

*4:http://news.bbc.co.uk/2/hi/middle_east/7272329.stm

*5:http://news.bbc.co.uk/2/hi/americas/7276228.stm

*6:http://www.afpbb.com/article/politics/2359189/2698726

*7:http://www.afpbb.com/article/politics/2359550/2698875

*8:http://news.bbc.co.uk/2/hi/middle_east/7273821.stm

*9:http://www.diplo.jp/articles08/0801-2.html

*10:http://www.economist.com/displaystory.cfm?story_id=10251226

*11:http://d.hatena.ne.jp/NakanishiB/20070117/1169027065

*12:http://www.afpbb.com/article/war-unrest/2334801/2512799

*13:http://news.bbc.co.uk/2/hi/americas/7181706.stm

*14:http://www.afpbb.com/article/war-unrest/2356930/2686786

*15:http://news.bbc.co.uk/2/hi/americas/7268257.stm

*16:http://news.bbc.co.uk/2/hi/americas/7273320.stm

*17:http://news.bbc.co.uk/2/hi/americas/7198768.stm

*18:http://www.guardian.co.uk/world/2008/feb/03/venezuela.colombia

*19:http://www.venezuelanalysis.com/analysis/3122

*20:http://news.bbc.co.uk/2/hi/americas/7275821.stm

*21:こちらはそうでもないhttp://news.bbc.co.uk/2/hi/americas/7276308.stm

*22:訳は http://0000000000.net/p-navi/info/news/200803011745.htm

*23:http://news.bbc.co.uk/2/hi/middle_east/7270650.stm

*24:http://news.bbc.co.uk/2/hi/middle_east/7272329.stm

*25:http://news.yahoo.com/s/afp/20080301/wl_mideast_afp/mideastconflicthamasmeshaal_080301153241

*26:何か続報があれば補足します

*27:http://www.guardian.co.uk/world/2008/mar/04/venezuela.colombia

*28:http://www.cnn.co.jp/world/CNN200803040007.html

*29:http://commentisfree.guardian.co.uk/conor_foley/2008/03/a_widening_crisis.html

*30:http://www.guardian.co.uk/commentisfree/2008/mar/05/colombia.venezuela

*31:http://www.cnn.co.jp/world/CNN200803050003.html

*32:http://www.news.janjan.jp/world/0708/0708010168/1.php

*33:http://blogs.yahoo.co.jp/isikeriasobi/52364962.html

25日・26日修正ちょっとだけ

 キアロスタミを拒否した超大国があるのだからまねをしてネグリを拒否するのは属国として当然かもしれない、とりあえず。

http://www.negritokyo.org/

 紹介したいのはこちらの意見
http://blogs.yahoo.co.jp/isikeriasobi/52630435.html

http://blogs.yahoo.co.jp/isikeriasobi/52661436.html
 もちろんためにする意見ではありません。*1それにスティグレールが許可された理由もわからないし。
*2 *3 個人的にはやはりネグリ批判をしていた方々はきちんと態度表明してほしい。なぜあなたは日本にネグリと違い日本にいられるのか?。あるいはなぜあなたはキアロスタミと違いアメリカに入国できるのか?。それを考えるべきでしょう。

 最近はじめての選挙があったブータンに関して興味深い記事があったのでもうひとつ。
http://www.afpbb.com/article/politics/2369137/2768455

http://www.afpbb.com/article/politics/2369378/2771564

http://www.afpbb.com/article/politics/2369340/2772079

http://www.afpbb.com/article/politics/2369311/2771990

 同じニュースサイトに全く違った視点からの記事が入っているのが興味深かったので。ブータンを追放された大量のネパール系住民の難民のことは知っていたので、かれらはどう投票するんだと疑問に思ったらこういうしだいで。さしずめ「民主主義のポチョムキン村」というところですか。まあ触れないよりはよっぽどましなのですが。アメリカがこれだけ大量に受け入れようとしているとは思わなかった。どうも意図や効果が怪しげではあるが悪いことではないのでいいとは思います、でも日本はこちらは見習わないだろうけどね。*4
 *5

 関連かな
 http://d.hatena.ne.jp/Domino-R/20080323/1206290245

16日『ムネモパーク』*1

出演者は鉄道模型マニアの老人たち。舞台装置は1/87スイス模型。

 もう二回しか残っていなくてだいぶ遅すぎるし、結構話題だし』*1、一昨年のタールハイマーのときと違って(そもそも箱が小さいのが理由だけど)結構お客も入っているからあえてこういう形で宣伝する必要はないかもしれないけどやはりすごいので。スイス出身の演出家シュテファン・ケーギによる祖国への悪意とそこの人々の生への愛情にあふれた楽しい上演です。説明だけ見ると一見しょうもないものに思えるけれど、非常に政治的で美的にも傑出しています。イベント行かなかったので完全な妄想ですが、ダニエル・シュミットの『楽園の創造』を上演にしたらこういう感じでしょうか。私が見たリミニプロトコルの作品のうちでは政治性でビデオ上映で見た『ヴァレンシュタイン*2のほうが直接的ですが、観客の位置を問う構成がより明確になっているのが特色です。参照項のシラーとインド映画(名前はわからん)の使い方の違いが良かったのでしょう(ちと感動的過ぎるけど)。というわけでいまさらのエントリーでした(^_^;)。*3
*4

http://tif.anj.or.jp/mnemo/mnemo-profile/index.html

ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」精読 (岩波現代文庫)

ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」精読 (岩波現代文庫)

ベンヤミン「歴史哲学テーゼ」精読 (岩波現代文庫)

ベンヤミン「歴史哲学テーゼ」精読 (岩波現代文庫)

 まあ思いついたのを二つ並べるために解説書のほうを。