私が間違っていました(28日追記・29日追記、修正)


前エントリーの補足とコメントの返事の続きです
http://d.hatena.ne.jp/NakanishiB/20080525/1211680063


  私は書き込んででいませんが、エントリーの前提ということでコメントランもあわせてです。
 http://homepage.mac.com/biogon_21/iblog/B1604743443/C497052863/index.html


 えーと、まず愚かというべきか25日のエントリーにおける私のfuku33氏に対する判断は間違っていました。fuku33氏はもっとも重要なレベルで反省していないようです。そう考えた契機は↓にリンクします。

http://d.hatena.ne.jp/mujin/20080525/p1#c

 
↑のmujinさんのコメントをエントリーにしたもの
http://d.hatena.ne.jp/mujin/20080528/p1


 ですが、紹介されているのがfuku33氏のはてなスターの付け方であるように、ネットにおける無責任かつ自己中心的な反応に煽られたという側面が大いにあります。したがってここでは基本的には前のエントリーの補足と、id:shinichiroinaba氏への返答を書いていきます。


 さて反省していない部分とは次のようなところに典型として現れています(以下id:mujinさんのエントリーから引用)。スターによって指定された部分は強調しています。

ならば選択を強いる極北の例として、トリアージでわかりやすく解説だ!あくまで考え方を示すための極端な例として挙げた経営学トリアージを適用すべき、という話にもならないその時にいったん倫理の問題を切り離すことが人類の悲劇に繋がるとは思えない

どんな話でも対応次第で超新星爆発が起こせる!それがはてな村!/id:CrowClawのコメントに宇宙を感じる

授業の中の一コマで例として取り上げる事は問題ない。授業の断片だけでそれしか語ってないかのように見なしてるブサヨの恣意的誤読が問題。経営学の存在理由を説明しても拒絶する奴等の腐った脳には届かない。

リソース配分におけるトレードオフについて教える際に、トリアージを例にあげずにどうするの、とすら思うんだけどね

素晴らしいまとめ。これで全てが表現されているメタファーの誤読と感情的な反発の融合でそれぞれが言いたい放題言っただけ

 もちろん、もっとまともなスターの付け方もありますがそれはリンク先でお確かめください。ただこのように自分の意見の保持すべき部分を明らかにするのであれば、これまでに自らがコメントしたブログにも知らせるべきでしょう。*1


 とりあえず、この騒動においてはある種の対立の図式化がされてがしまったのは確かです、私もその一方に位置づけられてしまう。その上で書きますが、これほどの騒ぎが起こった理由の一つは元エントリーを明記せずに削除したことにあるのは確かでしょう。これは図式化以前の問題だと思います。本人の判断もありますが誰もそのことを忠告しなかったのでしょうか?。

 ここから稲葉氏への返答を交えます。稲葉氏のコメントは↓にあります。私(およびApemanさん)の返事もありますので参照ください、。

http://d.hatena.ne.jp/NakanishiB/20080525/1211680063#c



 ここで問題にしたいのは稲葉氏のfuku33氏のエントリーへのコメントです

http://d.hatena.ne.jp/fuku33/20080522/1211444127#c1211598950

http://d.hatena.ne.jp/Wafer/20080523#p2の厳しいお叱りを胸に刻んで、そろそろ黙ってください。そして何事もなかったように先に進んでください。これ以上(たとえばtoledのような)バカに餌をやらない。こういうバカを自分でも何度か繰り返した愚か者として忠告いたします。

 最初に書いたとおりここでの忠告は半分しか守られていません、明らかに『そして何事もなかったように先に進んでください』をきちんと聞くことができなかったのです。にもかかわらず、学んでいることもあります。それが『これ以上(たとえばtoledのような)バカに餌をやらない。』という部分です。この文をどう解するかは受け取り方によりますが、敵対関係の図式化の薦めとして読むことも可能です、toled氏は影響力が大きいのは確かですが、決して「最初」の特権的コメンテーターではありません。前回のエントリーでも挙げたとおり、ブクマコメントでも彼の名前を繰り返しています。ちなみに正直言って私にはあまりできがよくないと感じられたのでスターはつけなかったはずです。ただ、ここでは彼の名前の「バカ」付きでの強調が、他のネット上での反応とともにfuku33氏を上記のようなうな居直りに導いた可能性は指摘できます。そして『何事もなかったように』の部分を忘れたのです。Wafer氏がfuku33氏をmujinさんを引き合いに出して批判したのはトラックバックをしてこないのは卑怯だという「エントリーの記述内容」とネット上の慣習の問題であったことは重要です。このTBに関する記述が後で消されたことも含めて「バカなこと」の本当に具体的な例であるわけです。稲葉氏はこの具体性をとりあげず、toled氏に対する批判をした。その結果として現在の状況を理解することもできるのです。

 コメント欄から続けます

 ぼくには「つまんないけどリスク回避のために厳格主義を貫け」しか思いつきません。仕方がないです。

(Mmujinさんのエントリーを無視したことは)不正確ではあっても支離滅裂ではないと思いますよ。

本当にfuku33氏のためを考えていれば、優柔不断な愚行ということになるのではないでしょうか。厳格主義を貫いたともいいがたい、もちろんその必要があるのかは別ですが。

たいした問題になるとしたら、それを周囲であおった人たちに、当事者がさらに乗せられてあたふたした場合のみです。

 はてなギャラリーの皆さんは別に困りませんよね。ここから娯楽を得られて結構なことですよね。それだけならみんなが飽きるまで延々炎上が続いても、別にかまわないと思います。しかし彼には受講生たちがいますのでね。ここら辺で打ち止めにしたほうがいいでしょう。

失礼ながら個人名は特定せず「ひと山いくら」で fuku33氏に似たような趣旨のコメントをしていた人たちを扱ったわけですよ。後付け的にいえばもちろん、toledさんもhokusyuさんもこの山に入れてますけど。

でもそういうのって「差別語」タブーがルサンチマンを余計に書き立てて差別意識をかえってあおりかねないのと同じようないやな副作用を持ちませんかね。そりゃもちろんぼくだってfuku33氏はマッチョなセクシスト風のところがあるとは思いますよ。しかしそれに関して、用もないのに頭ごなしに説教するなんて逆効果でしょう? 

 手っ取り早い対立の図式に押し込んだ方が鎮火が早いというのならそれは一つの判断でしょう。その方がfuku33氏に受け入れやすいのならなおさらです。そのような図式化において、自らが属する側の問題点を荒立てることを望まないというのならそれもそうでしょう。ただ、次のような発言とはどう整合するのでしょうか?(はじめから念頭にあったのです)。

http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20041122/p3

 ネット上の問題とここでの言及の事件ではレベルが大きく違うことは認めます、しかし、これは「左翼」にのみ求められことなのですか?。ともあれそう求められるのは「左翼にとっていいことではあるでしょう。その上で「左翼」は「そちら側」の失態は嘲笑していればいいのですか?。

 fuku33氏のエントリーに戻ります。いくつか批判的なリンクを貼ったので詳細はそこを参照していただきたいのですが、元エントリーだけであれば確かに「たいした問題」ではありません。差別的で(トリアージに関して)トンチンカンであり、しかも容易に相手にばれてしまうような罵倒をネットで安易に公表してしまったそれだけです。だが、エントリーにこのような騒ぎになるにあたってその容易に噴出してしまう素因がいくつも埋め込まれていたことは指摘しておくべきでしょう。

 削除の中で注目すべきはセクシズム的な部分と大学の状況に関わる部分ですが、問題はこれがfuku33氏の思考の短絡ぶりと固定観念を示していることです。もともとほとんど勘違い気味に「トリアージ」を導入したことが問題ですが、ある女子学生から一気に「女性」へ短絡すること自体が「トリアージ」を自説の材料として扱うことに関する批判の有力な根拠になるのです。つまり、この短絡は具体的な大学の現実に接続されることで、そのような紋切り型を伴った短絡がfuku33氏の思考のパターンと疑わせます。そのことは

 社会問題を感情的に批判していれば解決するとでも思っているのだろうか。誰か悪意の人がいて、それを取り締まるべき人がまた心がけが悪く責任を果たしていない、だからそれに文句をいえば社会は良くなる、みたいな社会観が根底にある気がする。

 このような発言の捉え方をも非常に微妙にします。先ほど指摘したような短絡があると想定されたときにこの発言自体が発言者に返ってくることです。それはid:mujinさんの批判の中心でもあります。そして、「トリアージ」という言葉の適用の無原則な拡張という危惧を強くしてしまいます。

 以上のようですが、文句が出たらきっぱりと取り下げておけば話はずっと早く収まったでしょう。fuku33氏を含む「政治的意図を伴った勝手な深読み」がされていると主張する側は、あちこちに散らばったコメントや、削除された部分を含めて発言するべきでしょう。そしてこの削除こそが騒動を拡大しました。

 ですから繰り返しになりますが、稲葉氏はここで「厳格さ」を欠いたのです、それが「遅きに失した」のでたいした影響を実質的にもたらさなかったとしてもです。その場合はこれは、fuku33氏に対する稲葉氏の誠実さの問題ではないのでしょうか?。これが4年前のエントリーを援用した理由です。彼の「セクシズム」に対してきちんと対応しなかったことはそうとられても仕方ありません。fuku33氏を「大人」として扱っているのかということです(これは私の意見ですが「大人」として叱るにはそれが必要なのではないでしょうか?)。とはいえ今の彼の意見がこのエントリーの最初にのようなものであればまさに余計なお世話かもしれません

 と、稲葉氏に対しての答えをかりて述べてきましたが、本当には自らのアイデンティティに関連するある象徴的な出来事を図式に押し込め、自らへの無害化を図るということと、それがどのような過程で起こるかを問題にしていました。そしてそれは現実の権力やそれぞれエージェントの社会的的制約と結びつくときにファシズムという問題として現れるわけです(まあ正確にはファシズムはこのエントリーで述べてきたような単純な現象とは考えないのですが他に言葉が思いつかない)。稲葉氏がファシストだというわけではないのです。むしろそういうことをご存知のはずでしょう?と問いたいのです。そしてこのような「陳腐で日常的な例外状態」にそこに至る問題は表れるのではないですかと?。


 重要ですが時間がないので短くです。

 「差別語」タブーがルサンチマンを余計に書き立てて差別意識をかえってあおりかねないのと同じようないやな副作用を持ちませんかね。そりゃもちろんぼくだってfuku33氏はマッチョなセクシスト風のところがあるとは思いますよ。

 さすがにこの発言はちょっと困るので。とりあえず「差別」についての意見としてずさんです差別については議論をはじめるときりがないのでごく簡単に。まずはじめに差別行為は既に起こっています、その行為への対処として話を進めます。fuku33氏の性格と行為はこのよう場合峻別すべきでしょう。たとえば、2ちゃんやブクマコメのようなところであふれてる差別コメントをどうするのかは非常に微妙です、規制というのがまずいことはわかります。しかし、fuku33氏はたとえネット上であってもまるで違った行為をしたわけです。ある社会的権威をもって「特定の個人」(たとえハンドルでも同じです)が特定の位置でしたのです。私にはまるで知らない人ですが、稲葉さんにはそうではないでしょう、図式として近くにいるわけでしょう?。だからこそ、リスクを覚悟してするべきではないのでしょうか。それとも25日のエントリーのブクマの指摘のように考えているのならもう言うことはありませんが。そして「原因の一つとしての性格」と「行為」は峻別してから批判するべきです。その峻別をしなければ「悪しき糾弾」と同じ錯誤を抱えて振舞うことになると思います。では失礼しました。

29日追記

 それにしても束縛的価値観は正しかったんだなーと思ってしまいそうになります。
*2

 またネット上の議論の問題としてどう考えるか、↓にコメントしました。ネット上は常に現実であるという前提以上に話が大きくなりそうなので率直に言って怖いのですが。

http://d.hatena.ne.jp/mescalito/20080528/p1
 

「公共性」論

「公共性」論

「超」言葉狩り宣言

「超」言葉狩り宣言

 これは安いw