2007年回顧・文化(10日追記)

 一応、批評誌クアトロガトス第2号を出したのがこの年の最大の出来事ですが、同時に特に4月以降全くのスランプに陥ってしまって、ブログの更新も活字になる文章も一切できなくなった年です。それに比例してかクアトロの売れないこと売れないこと…。まあ、基本的には私の生活がやばいのですが。というわけで、今回は、文化方面の私的な回顧です。演劇や映画はSNSに一応の感想をまとめて残しているのでそれを参照にして。
 
 上演
 前半はわりと見ていたし、きちんとまとめて書くつもりのものが多かったのですが…。三月の公共事業的上演ラッシュで気力を使い果たしてしまいました(^_^;)。今年の過密ぶりもやばいです。前半は、エントリーに書かなかったのでは、解体社五反田団庭劇団ペニノなどに行きました。なかでも、ラビア・ムルエ『これがぜんぶエイプリルフールだったなら、とナンシーは』についてはブログにあげようと上演の分析を書いたけど、4月からレバノンが泥沼の状況に陥ってそれ以上書くことができなくなってしまいました(情けないけど)、そういえばブッシュがイスラエルへ行きましたね。*1*2黒沢美香の『ダンス☆ショー』はとても素晴らしかったです、とはいえダンスはほとんど見ていないので某メーリングリストにつないでごまかします。*3*4これについては第3号で扱う予定なんですが。

 後半はエントリーを上げた分すらないのに、さらに少なくなってカノコト『社会が始まる前に』*5、上のエントリーで触れたチェルフィッチュ『ゴースト・ユース』、((http://d.hatena.ne.jp/NakanishiB/20080102/1199216126)) PortB『東京/オリンピック』などでしょうか。*6

 とりあえず思い出せて取り上げる気になったのはこんな感じです、追加するかもしれません。内輪で申しわけないですが、私がクアトロ2号で取り上げたmorning landscape、の上演などもよかったです。

 というわけで、結局2007年のベストはやはり見た瞬間からこれがと思っていたチェルフィッチュ『カスカンド』でした。*7 形としてはベケットのラジオドラマの公開収録として行われました。上演レポートのでも触れたようにベケットの戯曲作品の上演は大変難しい。*8
ともかくベケットの戯曲は極めて言葉の完結した力が強くて、よくできている上演ではかえって言葉が圧倒してしまうことが多いわけです。そのため、一昨年の世田谷パブリックシアター(『ベケットの秋 in 世田谷』)で行われたモレキュラー・シアターの上演のように徹底して言葉を異化して扱うことにより上演としての意味を確保することが必要になったりするわけです。*9 そのような中でチェルフィッチュの上演は特筆すべきものだったと思います、以前書いたように美的レベルにおいても、理論的なレベルにおいてもです。ベケットの言葉をその強度を損なわず舞台に乗せることに成功している、にもかかわらずチェルフィッチュの上演空間として成り立っていることでした。このようなことはラジオドラマの公開収録(未だに聞くことができないけれど(T_T))という無理やりな形式が可能にしているでしょう。岡田さんの『カスカンド』解釈(生きていることをなんてポジティブに捉えている作品なんだろうと思う)は率直に言って「え?」と思ってしまうものなのだけど、上演はちゃんとその通りのものになっています。はっきりとベケットの戯曲とは違った肯定的なものに転じているわけです。私はこれが可能になった理由はプロセスの提出というところにあると思います。つまり目標として存在するはずの「ラジオドラマ」(これは言葉と音楽で構成されている)とそれを作るプロセスが同時に展開されることによって、ベケットの否定的な「ラジオドラマ」と行われているプロセスとの断絶と緊張が一回的な出来事の反復としての上演を形作るわけです。これはもちろん、ベケットのテキストを「読むのより劣って」ではなく提出したからこそ可能になるわけですが。


 ともあれ、この上演についてはもっと注目され、誰かきちんと論じるべきだし、そもそも自分がそうするべきだと思っているのですが、この調子なので2007年過ぎても未だにきちんとした文章を書けないわけで…(^_^;)。*10

 その他の分野についてはまた追加します(多分)。