続・もう一つの告白25日

 吉本隆明はてなキーワードで来た人がいなかったので、以後「吉本ばななの父親」にします*1。何かどうしょうもなく無意味なことをした気持ちです。ですからこれから書く上のエントリーの趣旨説明(注のリンクも含めると面倒でしません)もぱっとしません。24日の日記全体のタイトルが示すように、主目的はある人物を小泉がどのように「動員」*2したかの説明です。例えば、(中原昌也の連載だけが目当てに立ち読みした)発売中のSPAに神足裕司が書いてる文章もひどいし、基本的に同じように使えるのですが、まああまりにどうでもよい人物なので…。とはいえ、その骨格においてはうんざりするほど似ています(メモ偽造説に肩入れしてるのが違うけど)、法的、政治的意味をあっさりと無視していること、外国はかつての戦争の被害/加害者ではなく文句をつけてくる「異物」であること、靖国神社とは何かを考えないこと、かつては国民は仕方なく従ったこと、実は彼ら自身は「日本の歴史」に基づいた平和を望み、平和でいる権利があると思っていること。それゆえに、彼ら自身は何も悪くなく、「靖国問題」は外部の敵の策謀であり、小泉首相のもと団結しようw(この行の後半は私のパラフレーズですが、それに彼らが支持しようがしまいが警察はそれをするでしょう)。たださすがに「吉本ばななの父親」があの時代の国民を代表してしゃっべているのは…。そこでかねて気になっていた、グラスのケースとあわせたわけです。

 要するに、今の日本で世代を超えて支持される能力を小泉は持っているわけです。それは階層をまたいで支持されるといっても良いでしょう(それが最大の強みです)。*3、それは、上記エントリーの通り、普通の国民であることを、「素直に」感じることができる状況を巧みに用意するわけです。小泉自身が靖国にこだわる理由は不明ですが、仮にも首相である以上、常に彼の行為は常に潜在的に国家/国民の内と外の線を引くものであるわけです、それが靖国になったのは歴史の悪意というべきでしょうか。そして(早くとも55年以後ですが)戦後社会の主流の擁護イデオローグであった「吉本ばななの父親」の今回の「告白」は高度成長以後の社会の変化の行き着く先にある「奇跡」として、感動的だと思ったのですがね。法的、慣習的な歯止めを外して進み始めた社会*4がどこへ行くのでしょうか。それが絶えざる異物排除の衝動と先進国民としての「野蛮」への恐怖に支配された国家イスラエルが、小泉と違った意味で特異な人物であるシャロンの後に「破滅」への道を転がりだしたのはちょっと注目すべきでしょうか(40年かけて、20倍の人間を殺してまだ懲罰が足りない自分たちは被害者だと信じる国民を作ったのは凄い、これが「現代」でしょうかw、とりあえず後は適当に調べてください)。http://palestine-heiwa.org/ *5 *6 *7 *8 *9ちなみに、上のエントリーでこうの史代『古い女』の名前を挙げたのは新しい「古い人」と古い「古い人」の共犯を問題にしたかったためです。

リキッド・モダニティ―液状化する社会
 というわけで、世界的な変化を考えるのに必読で。

迷える者へのガイド (海外文学セレクション)

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 前回も出てるw。