何故「渋谷ハチ公前広場」なのか2(エントリーを分け少し修正しました28日)

  • 「神は死んだ、我々が殺したのだ」


 さらに関連して、3月21日に見に行った、PortBの上演「ニーチェ*1についていくつか書きます。実は、会場が極めてわかりにくかった上、チラシを忘れていったため大幅遅れになってしまいましたが…。この話のほうがいいかなw。撮る会えず、はじめの30分が伝聞ということで、出演者の方が観客より多い贅沢な上演でしたw(目測です)。戯曲は翻訳は存在しますが、原文を再訳したものを使用したそうです。翻訳はまもなく論創社から発売されます。

 まず、戯曲を書いた、アイナー・シュレーフについてですが、

アイナー・シュレーフ
1944-2001

 日本にほとんど紹介されることなく他界したドイツの劇作家・演出家アイナー・シュレーフは、現代社会への批判を含んだ苛烈で越境的なコロス演劇を創造し、ドイツ演劇界では数少ない異端の大物演出家として数々の演劇賞や劇作家賞を受賞した。
 ニーチェ没後百年に当たる2000年、アイナー・シュレーフは『ニーチェ 三部作』を完成させたが、奇遇にもシュレーフの生涯がニーチェの百年後を思わせるものであった。シュレーフはニーチェの誕生からちょうど百年後の1944年に旧東ドイツに生まれ…。

 PortBのページより

 私もかつて数十秒だけブレヒトの「旦那ブンティラと下僕マッティ」の映像を見たことがありますが、とてつもないものでした。ブンティラをシュレーフが、彼の娘を一人の女優が、残りの女性全てを女性のコロスが、残りの男性を全て男のコロスが演じていました。今でも記憶に残っています。



 さて、上演では戯曲は徹底的に分解されてから再構成されていました。劇場は長方形で舞台は中心にあり長辺に客席があります。観客が入る入り口の大きな扉の反対側には、ニーチェの母を演じるコロスがいます。ニーチェは3人いて、中央の鉄パイプで組み立てられた箱の中に椅子に正装して座ったニーチェが一人、左右のベッドに寝込んでいるニーチェが一人づついます(発狂後と思われる)。真ん中にはエリーザベト(ニーチェの妹)が一人います。エリザベートと「母親」はフリッツ(=ニーチェはこの劇ではこの愛称で呼ばれる)を奪い合って、言い争います。さらにエリザーベトは2人のニーチェは無視して、箱の中のニーチェにのみ語りかけます。薄いカーテンが舞台の周りと客席の後ろに設置されていて劇中幾度かしまります。FMラジオが配布され、舞台上にある赤ランプが光った時に音が流れ、青ランプが光ったら音は止まります。ラジオの使用法の説明は客席にいる4人のパフォーマーが最初に順番に行います。

 上演は、エリザベートを中心に進みます、彼女は自分の思い(失敗した結婚のこと、父親のこと、唯一つ残った兄にかける期待のこと)を箱の中のニーチェに語り、「母親」と「フリッツ」(とその原稿)に対する権利をめぐってやりあいます。二人のニーチェは原作の第1部からとられた(ツァラツストラのパロディにも思える)言葉を喋ります、エリザベートはそれを復唱します。ランプが光ると、創世記からの引用が流れます(一度目はソドムとゴモラ、二度目はバベルの塔の逸話)。そのたびに舞台はカーテンで覆われ、エリザベートとかごの中のニーチェは本を読み上げます(内容はニーチェの著作か?)、しかし二人の声は調和することはなく、流れる音楽(バッハ・マタイ受難曲)はその聞き取りを邪魔します。二人のニーチェは時々右手を斜め上にあげたりします。2回目のランプが光り、バベルの塔の逸話がラジオから流れた後で全てのカーテンが閉められ、エリーザベトとニーチェ、客席のパフォーマーはてんでに別の言葉を読み上げます。そして二人のニーチェはベッドを出て、歩き回ります。やがて喧騒と混乱は終ります。

 この上演に設定された特徴は、対称性です。二人(二種類の)のニーチェ、エリーザベトと「母親」、二つのランプ、互いに向き合った客席。その中心には、フリッツとエリザーベトという対称があります、この対称がやがてが一つのドイツを目指した末の二つのドイツという事態まで至ることは歴史が教えるとおりです。上演は徹底して意識的に構成されています。

 喧騒が終った後カーテンは全て開かれ、中央の鉄パイプの箱の中のニーチェエリザベートが語りかけ始めます、白い照明がそこを照らしています。そして、エリザベートが語り終えると、最後のランプが光ります。ここでラジオから流れるのは、ニーチェの『権力への意思』です。やがて両方のランプが赤く光り、はじめてフリッツとエリーザベトは声を調和させて「権力への意思」を読み上げます、ラジオからは切れ切れに、言葉が続きます。ここが私には最も「美しい」シーンでした。そして中心的シーンです。最後シーンで、二人のニーチェは、電飾で飾られた鉄パイプの箱に座り、箱の上にはエリザベートが立ちます。

 『権力への意思』は、ニーチェの死後、その遺稿を集めてエリーザベトが出版したものです、編集も題名をつけたのもエリザベートです。彼女のその後については、多言を要しないでしょう。彼女が終にニーチェ文庫に「総統」の訪問を受けたりしたことは有名なエピソードです。

 フリッツとエリーザベトの二人の父親は牧師でした。「母親」との対話で示唆されますが、もはや信仰を持つことができないという点で二人は共通していたのでしょう。合図のランプまでが上演に組みこれていたことなど、ラジオの使い方は見事です。このラジオ自体と流れている言葉が聖書の文章であったこと『権力への意思』が最後に流れ、そして二人の言葉がそこではじめて一致したこと、それはこの二人が対称的な思想や生き方にもかかわらず共有せざるを得なかったものを見事に示しました。多分演出の意図にも、明白にニーチェの思想にも反するのでしょうが、私はこの二人が一つに統合される場面に現れてしまう「悲しさ」と「美しさ」のほうが上演後強く印象に残りました。ドイツ史の方にこそ私の関心があるからでしょうか。百年後に何が代わったのかシュレーフの原作も含めて、考えて見るべきでしょう。ドイツは今一つですから。それに、統合化に反するようにに繰り返されて、最後には消えてしまうのはシュレーフの言葉です。

 ちなみに、シュレーフは44年、ファスビンダーは45年、イェリネクは46年の生まれです。

エリーザベト・ニーチェ―ニーチェをナチに売り渡した女

エリーザベト・ニーチェ―ニーチェをナチに売り渡した女

 とりあえず

 エリーザベトの死後にファシズム下のイタリアで構想され戦後作られた新しい批判版の全集の逸話などが載っています。