べろべろばー(にゃんこさんよりUさんへ、以下私が・ウィルジニー・ルコラン「忘れられた壁」)(16日追記)

 ウィルジニー・ルコラン「忘れられた壁」を素材にして

 宣伝しまくっていたのに、実は上演自体のことはなに一つ知らずに見にいった、ウィルジニー・ルコランの上演についてようやく書きます*1。その理由は(私の知り合いでは)東京から見に行った人がほとんどおらず、それなのにちゃんと見に行こうとしていた人がSNS上にいたのでそもそもこれが上演された意味がどうにもよく分からなくなったからです。

 偽バッチ計画に夢中になっていたため、実は上演自体に一切の期待を持たず(悪い意味ではないのですが)名古屋に見にいったわけですが、肝心のバッチの方はもろくも主催者に利用される結果に終わったのですがそのことは書きません(とほほ)。

 さて問題の上演ですが客はすっごく少ない、それなのに舞台が見づらい、正直言ってまったくいい劇場じゃない。舞台は極めて簡素で後ろに申し訳程度の壁の残骸のようなものがり、上手にマフムード・ダルウィーシュ(「パレスチナの国民詩人」)のアラビア語の詩(「ベイルートのカシダ」の一部分)とその仏語訳の写った幕があり、下手にはその翻訳が写っています。、照明は薄暗くフラットで、はっきり言って見づらさに輪をかけてしまっています。詩はアラブ語の朗読と仏語の朗読が途中に何度か入り、いかにもアラブ風の音楽が入ります、ですが、この音楽は少なくとも前半は実はスペインのものだったそうです。ルコランははじめ中央に横たわっていたダンスもいかにもアラブ風(私の知識でだはですが)のものです。しかし踊りながらも顔と上半身はほとんど垂直に固定され、動きもかなり定型化されてうまいんだけどまるでおもしろくないわけです。
 ところがしばらくして、彼女が詩の写った幕に隠れながら踊り始めると驚くほど印象が変わっていきます。それまでの平板さと違い、幕の背後に何かがあることが伝わるようになる。幕を巻きつげなら踊るとそれが幕の下に何かがあるということを伝えてしまうわけです。次のシーンでは棒を使って踊り、その次はショールをまとっておどります、棒と「身体」の接点にあってしまう「ずれ」を、ショールをまとうときはそれに微妙に「ずれて」存在する「身体」を感じさせるものです、それでいてダンスの基本が変わっていないのは見事なものでした。

 続いて、鏡の破片を持って踊り、それはときに観客席に光を発する。最初の衣装の上にさらに服を着て踊る。そして仮面を被るというプロセスの果てにはじめは何の存在感もない(もちろん徹底して無表情(アルカイックスマイル)を作ってきたせいですが)顔を初めて仮面の下に存在させ、最後に仮面を取った時には手に持った仮面と顔(ここで「人間」の顔になるのですが)の間の「何か」を容赦なく意識させる。私はダンス経験値がとても低いのですから(自分でも)あんまり信用できないけど、これはとても面白かった。それにしてもダルウィッシュのテクストに負けず、「忘れられた壁」という題がきちんと納得できるのはすごい。


 さてこの上演は2001年にアビニョンの野外でやったやったようです、会場で配られたパンフレットには背景が写っていました。 ルコランはスペイン系のフランス人だそうです、スペインはイスラム世界に最も近い場所ですし、歴史的に見ると南仏という地域自体が地中海世界の一部として独自性を持っており、古くはアルビジョワ十字軍から近代の標準フランス語化まで北部との間でかなり確執が存在してきました。どこで読んだか忘れましたが、フランスというのはパリ伯爵(カペー家)の領土拡大運動で自然の障壁(海やピレネー山脈)か敵(ドイツ)に突き当たるまでそれを続けていたということも思い出しました(ちなみに、パリ公爵はいまだに大統領選に出ており、西ローマ帝国皇帝までいるそうで)。
 これに現代の問題、スペイン内戦(モロッコから南仏(最後の大亡命の時ですが…)までがその舞台になったわけです)とミュンヘン会議、その帰結としてのヴィシー政権まで含みます(これまたここで宣伝したラ・ボルト病院のジャン・ウリ氏の師匠に当たる人物は共和派の亡命者だそうです*2)。アビニョンでの上演はそのような歴史の残骸とおぼろげな記憶の上で行われており、野外という選択が確信犯でありえたのだと思います。

精神の管理社会をどう超えるか?―制度論的精神療法の現場から

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 で、問題はこれを誰も見に来なかった(ある意味で私も)ことです。後で散々喋ったことではありますが、実はチラシに全く魅力がない、写真から背景が抜けていることが決定的ですが、それだけでなく言葉もいかにもなものが並んでいてほとんど判定の材料にならない、正直いってこれを見に行きたいという人はどうやってそれを決めたのだろうか不思議です。ただ、単純に「芸術」的な問題だけを扱えばことは簡単で、賢い人は運がよければ見に行ったし、(機会があっても)イケテナイ人は行かなかっただけです。芸術の価値を信じるならばただそれだけです、価格的にもお手ごろですから。しかし、問題はこれが名古屋で行われたことです(例えばチェルフィッチュがドイツのどこで上演しても一定以上の騒動と評価を見込めるでしょうそれが先進国と未開の国の本当の差なわけです)、この上演は派手にイベント化されたものでもなかったのでずいぶん人集めにも苦労したようですが、同時にあけすけに言えばそれがなくてもいいものであることを意味しています。

 私がこれに見に行った理由は端的に人的つながりによるものです、私は本当に上演芸術を「愛している」とはとてもいえないわけです(そのことはいささか居心地が悪い)、某所でぶつぶつ言っていることは実は上演芸術でなくても言えることです*3*4。たまたまそこにいてしまった、(音楽のように)まったくわからなわけではない、でそこでうろうろしている。基本はそういうことになります。もちろん、クアトロガトスのページに多少書いたように観客に対する関係による自己完結性の否定などに何ほどかの意味を付けてはいますが、それはまさに「芸術」であることの否認なわけです、ここからはルコランを見に行く理由は出てきません。それと並べて良いのかはわかりませんが、ユリイカ7月号の「小劇場特集」はそのような理由を維持することを捨て去った(あるいはそれがなくなったという前提で作られている)という意味で画期的だったのかもしれません。そこにあるものになんだか最近のマンガ(よりはむしろアニメか)に対して感じるような違和感を感じてもです。これは「忘れられた壁」が野外という可能にする構造によりあらゆるところで上演をできるという「可能性」を模索しているのに劇場によってそれを封じることになったことと一対をなしているでしょう。もし「上演芸術」が存在することをなおも取り繕う必要があるならばルコランは見られるべきであったでしょう。でもそうではなかったわけです。私がここのところでなお両者をつなごう(というより両者をつないでしまっているものを問題にしよう)とはしているのですが。しかし、私はもし個人的事情がなくてもルコランを(知っていれば)見に行ったと言い切ることができないことがひどく情けなくはあります、第一にはそれにより私の本質(東京演劇性)がばれるということがありますが、「上演芸術」であれなんであれがあるということを知っている人に対する恥ずかしさでもあります。

 そういうわけでこれまたイベント(上演)についての[宣伝]でした。申し訳ありません。