「とりいそぎ」に加筆(追記11・16、18追記)
id:sk-44さんへ
体調がお悪いそうで大変で、とりあえず気になったことだけ返事します。
誤解を招く記述を一つ正します。
(結局は「ネット上」に限定されてのことでしたが)少なくともおふたりは交流があるのだろうと判断し、
文脈から、カッコ内はあなたの現在の私たちの関係についての判断とみなします。私はMacacaFuscataさんとはネット上の公開された交流しかありません。メールのやり取りすらしていません。従って、件の書き込みはMacacaFuscataさんの独自の判断です。
もう一つ
だからこれはNakanishiBさんのことではあるのですが、発言撤回と軽々しく口にする人間がわからない。行動は撤回できません。
「発言撤回」は当然一つの「行動」として考えています。Apemanさんの記述と返事が理解できできたのなら推測可能でしょう。こういう手ははいい加減にして欲しい。
以降18日追記
sk-44さんがこの追記をを出す前に次を書かれてしまいまして、どうも遅れてすいません。
http://d.hatena.ne.jp/sk-44/20061117
今回もまず目に付いた点を指摘します。
17日付のエントリー
ところでNakanishiBさんもまた自ブログを持っています。
いったいどういう理由でこういう文をつけるのですか?私はあなた特有の基準など共有していない、意味不明です。特に同じ文章で「言説のフリーライド」とやらを
齟齬を含んだ不確実な情報自体が発信されるリスクが存在する、
ゆえに否定しているのですから。
関連して15日付けエントリーで
11月11日付の当ブログのエントリにおいて私は「直接言っていただけなかったのはなぜか」と直接にではありませんがNakanishiBさんに問うています。その意思は読み取れると思います。しかるに当初のNakanishiBさんの応答においてはその点への説明がなかった。新規の応答エントリにおいても明記はされていませんが、少なくとも直接私に指摘を行う意思はなかったと判断しました。率直に申し上げて、当該のApemanさんのエントリでのコメントに記されたような内容であるから、つまり「嫌味」でしかなかったからこそ、私に直接向ける意思がなかったのだと判断せざるを得ない。飛躍した断定とは思いません。だからあの新規エントリをUPしました。
わからないのですが、当初の私の応答が12日付けエントリーだとしたら、私の次の応答は何ですか、あなたの11日付けのエントリーへのコメントですか?、あのコメントの本題についてははっきり書いてあったはずです、しかもあなたは『新規の応答エントリにおいても明記はされていませんが、少なくとも直接私に指摘を行う意思はなかったと判断しました』とお書きです。そうなると私の14日付エントリーになるしかしこれは新規エントリーに対する応答です。このような「不確実な情報自体が発信されるリスクが存在する」文章をお書きになるのはあなたとしていいのですね。
間接的な形で「嫌味」を述べる以上は行為の賭金を背負っていただきたい。私の個人的な見解に過ぎません、むろんNakanishiBさんの自由ではありますが、なら私も私の個人的な信条に基づき行動します。ジャッジは閲覧者が下すでしょう。
などというご託宣のためなら。
ついでに書けば14日付エントリーで答えはあります。
批判です、この段階で批判するに値する相手だと考えを改めたのです。
ということを(現在はまた考えを変えたとしても)書いたわけです。
論点の整理について
「頽落史観」をめぐる発展的な議論
前回明記したとおり、この議論が、「あなたの議論について」対象にするだけでなく、「あなたと」行われるとすれば(それ以前の質問に対しての)『きちんとした答えの上でです』。このように書くのはもちろんあなたの議論手法に不信を持っているからです、これも前回の追記の記述でわかるでしょう(私のこの態度は、明らかにApemanさんの態度とは違うでしょうが)。ただこう書く以上、「きちんとした」というのが曲者なので多少の論点整理は致しましょう。とはいえ、「本で読める話を個人的に説かれるのは対話の甲斐がないうえに」と書かれては、本当に「生産的な議論」を望んでおられるか疑問に思うのですが。
全指摘に対する応答草稿を昨夜更けに作成しましたが
このことを前提として書くと、14日に付記としてつけた部分に関してはあたりまえですが答えの必要はありません。
しかし貴方の見解提示に関して、必要に迫られての私の見解付記を要さない事柄に関しては、もう余計な言及をするつもりはありません。
必要があることについてはしたければ勝手になさってください。
もはや批判自体にNakanishiBさんを貶めるような意図はまったくないことを、御了解ください。
この記述は13日の記事が「弊を問う」といいつつ、まさにその「貶める意図」で書かれたことを示唆します、実際最初の反論の時点で私を「貶める意図」の実行を感じたから私も感情的になったのです。ですから、いちいちのためにする批判のおかしな部分への逐次的反論が量的なメインになったわけです。
その上で、『「まず第一に質問です」の答えが当然必要です。これはあなたの記事の前提を問うているからです。これは
ゆえに私は以下、貴方の開示された見解の論拠に対してあくまで具体的に問いたださせていただきます
という記述を最後に引用した批判したことと対応します。現実にはそんなことは行われてません。ただ、sk-44さんがあまりにあなたの私への批判が当てはまることばかりなされたので、そのような記事はあなたの公言なさっている「フェアネス」とどう関係するのかと問うた訳です。この程度は追記から読み取れるのですがね。基本ラインは示したのですから個々の指摘への取捨選択はそちらで。
頽落史観批判の繰り返しになりますが、「公正」や「覚悟」、あるいは今度でいえば「批評」とやらの強調が、それらが「閲覧者のジャッジ」とか「一般論」と補完して、あなたの言説の文脈と内容妥当性と効果への粗雑さの言い訳(恣意的な根拠)として機能しているのです。
ともあれ書くというのは私には苦手だと書きました、これだけレトリックたっぷりで書けるsk-44さんが率直にうらやましいです。私は喋りすぎて失言して、すぐ言い訳と「すいません」を連発して、ときにそれですむのかと批判されます。今回、私が反省したことです。
おまけ
17日付エントリー
そして浅田氏は福田氏に対して、政治的判断のうえでは同意しないが審美判断においては多く同意する、と述べています。審美に規定された「批評家」とはそういうものです。
これは何もいっていません、今回の議論?はどう見ても政治的判断に関わっているからです。東氏と浅田氏の論争は当たり前ですが、浅田氏が政治的には福田氏や彼と同様の判断を批判するということが前提です。まあ、sk-44さんはご存知でしょうが、この論争については、早稲田文学2001年3月号の鎌田哲哉氏による「進行中の批評2・「東浩紀的なもの」の問題」も参照に、同連載では、その後は福田氏や浅田氏への批判もあります。
17日付エントリー
「言説の効果に関する議論」を承知したうえで、私はあえて勝手にやっているのです。
「言説の効果」でないところに発言の姿勢が見事に現れています。