水俣の上演・とりあえずの報告11・11追記

ブログ上で宣伝してしまった以上、とりあえず多少の報告をしておかねばならないので書きますが、題名の通りはなはだいいかげんですが、ここでは上演のある程度の報告だけ行います。私はまだキチンと意見がまとまらないので…(少しだけ参加してしまったせいもあります)。

 下記の宣伝のとおり、とりあえずクアトロガトスは演出などの担当です。本来は胎児性水俣病患者の方々の朗読会です。主催は、胎児性患者の方々の支援にあたってこられた地元の団体の「ほっとはうす」です。*1   *2
 
 なお一部で報道もされています、テレビでも紹介されたようですが見ていません。*3
*4 *5

 1956年はもはや戦後ではない1年目で水俣病が公式に確認された年で今年はそれから50年です、その前後に産まれた子供の中に母親の胎内で有機水銀を摂取してしまった人々がおり、その人達が胎児性患者であるわけです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B4%E4%BF%A3%E7%97%85
 とりあえず水俣病についてのウィキ、さらに検索すればかなり情報は手に入ります。*6公式確認から50年になり一般には(私も含めてというべきでしょう)既に忘れられつつあるけれど、本当に戦後が終ろうとしている(もはや戦前である?)今もまだ厳然と続いている被害があるということです。

 完全に余談ですが、清原なつのさんのマンガ「光の回廊」で奈良の大仏を金で塗装するために水銀を使ったことによる有機水銀中毒が物語のかなめに取り入れられています。

 ともかく、クアトガトスの清水さんから上演の計画を聞くまで、私自身は実際にはきちんとした関心はほとんど持っていなかったといっていいでしょう、水俣病を特に扱っていたブログを読んでいたぐらいです。その後でも清水さんから患者たちのことや現地の状況を聞いたけれどもあくまで単に聞いただけです。

http://d.hatena.ne.jp/swan_slab/
 はい、このブログですw

http://d.hatena.ne.jp/bluefox014/20061101
 割と最近思わぬところで

以下は簡単な報告です

 私は水俣には前日に熊本までの寝台に乗って、土曜日の午後に出て翌日の昼頃に到着しました。帰りも寝台でしたから一泊もしなかったわけです。

 とりあえず、途中までしか通っていない九州新幹線新水俣駅で降り、今風の?公民館という印象の会場の「もやい館」につきました。そこで昼食をいただいて、上演(と講演)をするホールを見物して、資料をなどを読んでいました。そのうちに観衆や報道陣が来てイベントが始まりました。

 上演会場のホールは窓をロールカーテンで覆われていました、窓側が舞台です。舞台には3枚のベニヤの板が立てられていました。まず初めに、清水さんが客席の前の譜面台に台本をおき、客席をポラロイドカメラで撮影します。その後、クアトロの二人のスタッフがベニヤ板の裏を撮影するカメラを起動し、そこからの映像を板の表側にビデオプロジェクターで投射します。さらに4っつの麻袋をおきます。

 そして、ほっとはうすの方々に付き添われて(付き添いなしでは動けない人もいます)3人の患者の方が入場しそれぞれ板の裏側に入ります。その様子を板に映すわけです。ここからほっとはうすの方々のサポートで患者の方々が彼らの記憶の朗読を始めます。さらに背景の説明などの朗読のかなりの部分はクアトロガトスのスタッフがやや歪ませたマイクを使って行いました(特に発話の難しい患者の場合には患者の記憶の部分まで)、さらに患者への手紙などはほっとはうすのスタッフがそのまま朗読した。ロールカーテンにはスタッフや患者たちによって読まれたテキストや、当時の写真、ビデオなどが写されました。

 ほっとはうすのスタッフに促されてしゃべっても、患者の声の内容は実のところはほとんど聞き取れませんでした(見えはします)。それと前後して映される当時の写真のスライドが様々な何より時間的な距離を(ほとんど感傷的に思えるほど)的確に示していました。*7 基本的に舞台上に聞こえる声は三つに分かれています。これはおのおのの発話の位置がもともとずれてしまっていることを再現するのにに成功していたと思います。最後に映像が止まり、ビデオが消されて、患者達とほっとはうすのスタッフが退場した後、クアトロガトスのスタッフが「喪は明けない」という言葉ではじまるテクストを読み始める(上演中、当然ながら多くの水俣病による死者のことが語られたわけです)。そしてそれと同時に、もう一人のスタッフと私はカーテンを開けてホールに外の光を入れました。この辺りのことは観客としては覚えていない。ただ、私が水俣に着いた頃に比べて時間が経って、明らかに日が落ちてきていたのが意外に思えたし、面白かった。最後に清水さんが「ありがとうございました」といって終りました。

 この後は後片付けが始まり、やがて柳田氏の講演が始まったのですが、帰りの早いクアトロのスタッフはその間も片づけを続けたので、四匹目の猫は何をするでもなくうろつきまわっていました。順調にイベントは終わり、最後にほっとはうすのスタッフと、患者たち、それに清水さんが引っ張り出され、挨拶をし、ついでに合唱などして盛んに報道のフラッシュがたかれていました。

 クアトロのスタッフは帰ってしまって、細谷さんにつれられて、私は満ち潮のため水が止まっているかのような川にかかった橋を渡って、少しだけ水俣の市外まで入って、打ち上げに参加しました。白魚が結構おいしかった(^^ゞ。寝台に乗るために夜には水俣を出ました。

 上演としてはとてもよく出来ていたと思う、いくつかの仕掛けでつくられた構造はきちんと機能していました。ごく普通に「感動」的でした。もちろんそれは水俣の現実の悲惨があってそれを知っていてのことですが。最後に少しだけ参加してしまったので、きちんとした判断はできません。ただどうしても、いい上演だったという以上は。想定内といえばいいんでしょうか、それが不安だったし、観客の方々がどう受け取ったのかも気になりましたし。だから、疲れ果てていたことも重なりあまり気分はパッとしませんでした。

 東京に帰って何日かしてから、清水さんに電話をして上演のことをいろいろ話しましたが、どうやら当日は練習中の困難に比べて予想外に上手くいったらしいです。そもそも、発話自体がとても困難な患者達があれだけはっきりとしゃべったことが、驚くべきことだったらしいのです。そのことに現地のスタッフの方々は感激していたそうだ。そのことを聞いてあの上演をどう評価すべきだろうかますますわからなくなった。

 ところで音がうるさいのもあって冷房を切っていたため、会場はかなり蒸し暑かった。そのせいか上演中に倒れたお客さんはどうしたのだろう。*8

女性・ネイティヴ・他者―ポストコロニアリズムとフェミニズム

女性・ネイティヴ・他者―ポストコロニアリズムとフェミニズム

  上演中のノイズはこの本の朗読だったそうです

社会 (思考のフロンティア)

社会 (思考のフロンティア)

身体/生命 (思考のフロンティア)

身体/生命 (思考のフロンティア)

 直接には関係ありませんが、この2冊を踏まえるとよさそうです。水俣に関する本は青狐(id:bluefox014)さんお願いします<(_ _)>。



*1:http://211.120.54.153/a_menu/shougai/houshi/jirei/05060101/015.htm

*2:http://www.soshisha.org/shoseki/ippansho/hot_house_ni_atsumare.htm

*3:http://www.shikoku-np.co.jp/national/social/article.aspx?id=20061015000289

*4:http://www.nishinippon.co.jp/nnp/national/20061013/20061013_003.shtml プロ役者というのは…

*5:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061016-00000200-mailo-l43

*6:http://www.lib.kumamoto-u.ac.jp/suishin/mercury/

*7:http://d.hatena.ne.jp/swan_slab/20061104/p1#c

*8:AERA」 2006年10月9日号http://cruel.org/aera/aera2006q4.html#teheranlolita山形浩生id:wlj-Fridayの奇怪な論理のご託宣によると「文学」の「力」を取り戻そうとするのは危険で抑圧と不自由を貧困をもたらすそうな、あからさまに「演劇」の社会的「力」を作ろうとする私達が、実は〈現実の悲惨に基づいた!〉作品に「感動」〈小泉純一郎〉することが何のうしろめたさもなく大好きに思えるこの手の人々に果たして「危険」になりえただろうかと考えるとやはり心もとないのですが