インゲ・ミュラー(21日追記)

 ハイナー・ミュラーの二人目の妻で自殺した妻の事を調べて来た方がいるのでちょっと情報提供。

 そのインゲ・ミュラー(1925〜66)ですが、彼女の詩はとりあえずほんのわずかですが『現代ドイツ詩集』(三修社)で読めます(他にもあると思うけど...)。そこに略歴もあります。ハイナーによる言及はテクスト『死亡通知』がテーマとして明確に扱っています(『エルベは流れる』同学社、後半は話は戦争末期に変わるけど)*1。もちろん、自伝『闘いなき戦い』(未来社)でも他の3人(!、最後の一人とはこの時点ではまだ結婚してなかったような)の妻よりはるかに多くのページが割かれています。ユリイカミュラー特集号(1996・4、探したけど見つからない)のインタビューのタイトル「真実、微かなしかし耐えがたい」は、インゲの遺筆の中の言葉だったはずです。後は『東ドイツ文学小史』(鳥影社)などDDR文学関係の本で。

 インゲ自身は、ハイナーとは別の自律した詩人であったのは確かですが、それについて日本語で調べるのは無理でしょう(私もわからんけどちゃんとドイツ語で読んでる人いるようです)*2
 ハイナーの作品に対するインゲの影響は、70年前後の作品の大きな変化にかかわっていること(特に女/性についてのモチーフの出現)は確かです。私も昔上演を手伝った『トラクター』(『ゲルマーニア・ベルリンの死』所収)の74年の加筆でそのようなテーマが現れるのに気づいたのですが、あらゆる要因がこの時代に集中しているのでどう位置づけるかは難しいでしょう。直接にはやはり『闘いなき戦い』がもっともでしょう。

 同書の中でも述べられているように、インゲの原体験として連合軍の空襲により一晩瓦礫に埋まっていた体験は大きいようです。

瓦礫の下で Ⅲ(『現代ドイツ詩集』より)

 水汲みに行ったとき 崩れてきた家

 わたしたちは支えた

 忘れられた犬とわたし

 どうやって、なんて尋ねないで

 思い出せないの

 犬に聞いて

 というわけでこのエントリーはイスラエルレバノンの空襲についての↑のエントリーの続きであるわけです。もう一つかつて、レバノンの上演『ビオハラフィア』について書いたこともあります。*3 *4

 http://www.amnesty.or.jp/modules/news/article.php?storyid=161

現代ドイツ詩集―東ドイツの詩人たち

現代ドイツ詩集―東ドイツの詩人たち

闘いなき戦い―ドイツにおける二つの独裁下での早すぎる自伝

闘いなき戦い―ドイツにおける二つの独裁下での早すぎる自伝

エルベは流れる―東ドイツ短編集

エルベは流れる―東ドイツ短編集

 収録されているフォルカー・ブラウンの『底なしの文』は、彼の作品集にも入れて欲しかった。

東ドイツ文学小史

東ドイツ文学小史

 題名に偽りありw。