ジェントルマンにあらねば人にあらず(21日、12月17日、2月26日追記)。

 ついに更新です、ネタはイギリス帝国と「人間」、エントリー「一つ目はまたファシズムの話」*1の続きです。内容は手っ取り早く書けば「アメリカ」が異常なのはその前の覇権国のイギリスが以上であるコヨと同じ理由があるんですということです(ちなみに、それ以前に覇権国は存在しない)。、基本的に「イギリスの歴史」(川北稔・木畑洋一・編)の紹介です、ブクオフで105円で買ったのですが、実に便利な入門書なのでこれをネタに書きまーす。ホントは以前の予告どおり、リルバーンについて書いてないかと資料としてと思って読んだけど名前すら出てこない…。それはそれなりに意味があるわけで、この本は「イギリス」の歴史ではなく「イギリス帝国」の歴史を書いた本なわけです、ですから、「ノルマン征服」以前は2ページで片付けられていますし、さらに1600年頃までは前史として、後の連合王国になる地域の征服の過程を除けば、かなり簡略化されていますがかなり読み応えがあります(第1章)。第2章と第3章がいわば中核に当たる部分です、とりあえずイギリスの海洋帝国としての形成とその絶頂期を扱っています、でもなんだけどここあんまし出来がよくない、きちんと現在の新しい学説を組み込んで記述しているけどそれ以上では…。さらに第一次大戦で致命的なダメージを受けた帝国=コモンウェルスが崩壊していく過程を扱った第4章、第二次大戦後の支配の代償を受けるイギリスを書いた第5章はとても面白かった、時代遅れの帝国妄想にとらわれたサッチャーがイギリスの独自路線を破壊して*2、合衆国のジュニアパートナーから、属国に転落したイギリスにどんな未来があるのかは興味深いですね。

 で、この本の最大の読みどころを述べれば、イギリスってのは、イングランドが征服によって設立した帝国が後から国民国家として扱われるようになったてことです、今残っている部分はその帝国の名残なわけです。で、帝国はその中のジェントルマン階層が支配して運営して、世界規模に拡大し本当の意味でのグローバリゼーションを開始したという事ですね。ついでに書いとけばそれ以前から世界はつながっていたし、大航海時代は非常な意味を持ったけど世界にとってはそれは決定的ではなかった、それを逆説的に書いた本としてはこれ。

リオリエント 〔アジア時代のグローバル・エコノミー〕

リオリエント 〔アジア時代のグローバル・エコノミー〕

ヨーロッパ覇権以前〈上〉―もうひとつの世界システム

ヨーロッパ覇権以前〈上〉―もうひとつの世界システム

 こっちは知らんかった。


 さて、ジェントルマン(ジェントリ・郷紳)って何者という事になりますが、要するに地主です、ついでに書けばいわゆる騎士の子孫です、他の国ではこの階級は貴族に入るんだけど、初めから王権が強くて、さらに諸侯がばら戦争で力を失ったイングランドではこの階級は貴族ではないのです。で、15世紀以降こいつらがイングランドでは王権と結びついてどんどん力を付けていく、その意味では二つの「革命」はこいつらが国内の覇権を握るのを促進しただけなわけです(議会=下院って実はこいつらのための機関です、19世紀遅くまで)。議会の信任を受けた首相ってジェントルマンの親玉って意味になるわけですから、帝国の拡大やそのための戦争(第2次英仏百年戦争)、政策決定などはこいつらがやってたわけです。で税金を払うのはこいつらだから(小作人はそんなもの直接に払えない)、18世紀の財政=軍事国家と言われる、極めて高額の税金を取りそれをほとんど軍事に注ぎ込む国家の成立も可能になったわけです。
 とはいえ、さすがに19世紀に入ると産業資本家とか銀行家とか、下のほうでは専門職を初めとする中流階級が出てくるのでこの連中の「ジェントルマン化」が図られるわけです、ホブズボームの言う「伝統の大量生産」がイギリスでこの時期起こったのはそういうことでもあるわけです、日本人が好むイギリスってこの時期の発明なわけです。

財政=軍事国家の衝撃―戦争・カネ・イギリス国家1688-1783

財政=軍事国家の衝撃―戦争・カネ・イギリス国家1688-1783

ジェントルマン資本主義の帝国〈1〉

ジェントルマン資本主義の帝国〈1〉

 さて、合衆国の独立をはさんでイギリス帝国は大きく二つの時期に分かれますが、ナポレオン戦争に勝利して、英国の覇権は完全に固まりこれは1914年まで何とか続くわけです。でこの覇権を支えたのはいろいろありますが、1757年の「プラッシーの戦い」から本格化し始めた「インド植民地」の拡大によっています、インド植民地政府の財政からの直接収奪をはじめ市場としての役割、ポンド(=金本位)体制を支えるための役割など、インドからの徹底的な搾取によってイギリスの構造的権力は支えられていたわけです。その結果どういうことが起こったかというと、19世紀後半にインドでは食物生産量は増え続けても人口が増えないという異常事態が起こります(マルサスの意見を聞いてみたいw)、この時代は実際インドでは大規模な飢饉が続発しており(数千万規模の犠牲がでたと思われる)これは途方もない事態というべきでしょう*3。そしてインドの負担の元でアヘン戦争を初めとする「自由貿易のための戦争」は行われたわけです(これらの戦争の実態を書いた最も面白い本は「マル・エン全集」ではw?後半のジャーナリズム的記事を読むとこれでもかばかりに、イギリス帝国の卑劣残虐非道ぶりが活写されています)。これでも、イギリス万歳、自由貿易万歳という方々の気が知れません*4。ちなみに、イギリス政府というのは18〜19世紀は一貫して小さな政府なんですね、小さな政府とは実は軍事費を差し引いた規模で定義されるのですから(これについては、レイコフ参照)*5
 ギャラハー&ロビンソンによる、「自由貿易帝国主義」論やケイン&ホプキンス「ジェントルマン資本主義」論などの議論がこの本では用いられていますが、これらの議論でとりあえずホブソン=レーニン的「帝国主義」観が批判されているのは確かですが、いわゆる帝国主義の時代は1870年代からの不況の時代と重なっていますから、この時代の帝国主義は特別なものであり、どうも論じている対象が違うのではないかと思います、一つ言えるのはイギリス帝国の覇権の危機のために他の列強と同じくイギリス帝国も植民地の野放図な拡大に走った事です、それがボーア戦争を起こします。このおぞましい戦争は、アパルトヘイト体制という遺産を一世紀後まで残しますが、同時にイギリス帝国が孤立政策を捨てる契機ともなります、この時代の危機を社会政策の導入や選挙権の拡大、それと切り離せない労働者の国民化と消費者化、外交政策の転換によってイギリス帝国は何とか乗り切ります(この辺りの記述は興味深い)、しかし、日英同盟を端緒とする外交政策の転換は最終的に第一次大戦を帰結し、莫大な犠牲を払った末、帝国は回復不能のダメージを受けるわけです、そう考えた時に、危機は本当に乗り越えられたのでしょうか?

飢饉・疫病・植民地統治―開発の中の英領インド―

飢饉・疫病・植民地統治―開発の中の英領インド―

ボーア戦争

ボーア戦争

 イラク戦争ボーア戦争というのはとても似ているような気が…。

 さて、その後もとても面白いのですがはしょります。この辺りは現代史の領域ですから。基本的にこの本に感じた物足りなさは、イギリスの第2帝国の成立と「産業革命」の関係がほとんど明らかにされていない事です、先述したとおり第2帝国の成立こそ真の問題だからです。そしてもう一つは17世紀の革命と内戦の軽視ですそれについては続いて。

 最初に予告したとおりジェントルマンと「人間」です、ホッブスとロックには興味深い違いがあります、それは徴兵を忌避できるかという問題です。ホッブス自然権としてそれを承認せざるを得ませんが、ロックは戦時に不服従をした兵士の処刑を正当としながら、その財産を取り上げる事は認めません。命あってのものだねということわざはどこへ行ったのでしょう?これはロックが労働とそれによる所有を自然権の基礎においた事によるのでしょう、問題はそれは何故かということです。その一つの答えとして「ジェントルマン」という階級の存在をあげる事ができるのではないでしょうか?ロックの時代はまさにジェントルマンの帝国が確立した時代です。ロックにおける「人間」とはジェントルマンのことだったのではないかという推測が成り立ちます、つまり、財産を持ち、(召使を含む)家族を持っている者のことではないかということです。しかし、直ちに反論が寄せられるでしょう、ではなぜホッブスはそう考えなかったのかということです。ここでようやくリルバーンが出てくるのですが、この本での清教徒革命の軽視は問題があり、水平派の登場とその弾圧(排除)は決定的な意味を持っているのではないかということです。人民協約による普通選挙の要求こそがその後のイギリスのジェントルマンが200年間拒否し続けたものですから。普通選挙による今想像されるような「議会制民主主義」は実は19世紀末に形をなしてきたものです、この点でイギリスに他のヨーロッパ諸国に対してさしたる伝統はないということです(もちろん社会の安定という事では別ですが…)。清教徒革命は深刻な内戦を伴っており、それゆえに水平派のような存在が現れてくる事ができたわけです。水平派がクロムウェルに対してアイルランド遠征への従軍を拒否して反乱を起こした事はイギリス帝国の歴史的分岐点がここにあったのではないかと思わせます。クロムウェルがイギリス帝国の基礎を作る政策を数多く行った事はこの本にもかかれていますが、それを偶然で片付ける気になれないのが私の立場です。

 もう一つ、コモンロー(イギリスの慣習法)のことがあります、当時の社会契約論的思考はコモンローに対する批判を含まずには成り立たないからです。歴史的に見ると、コモンローの元になったゲルマン法はノルマン征服によって導入されたものです。土着のアングロ・サクソン法は長期間をかけて絶滅されたわけです。さらに、ヘンリー7世によるウェールズ併合において、速やかにコモンローが受け入れられたのは、財産共有が原則のケルト系のほうよりコモンローのほうが私有財産を保護するのに好都合だったいうジェントルマン層の意向が働いていたことによります。「人民協約」(水平派の憲法草案)がコモンローを否定した事も、ホッブスの社会契約論における「獲得による国家」という側面はこのような事実に照らし合わせて考えられるべきでしょう。

現代議会主義の精神史的地位 (みすずライブラリー)

現代議会主義の精神史的地位 (みすずライブラリー)

 この本を貫いているのは当時ははじまって間もなかった普通選挙の実現に現れるような大衆=平等への恐怖だと思うのですがいかがでしょう。
参照・2月26日、大衆への恐怖について*6、何故中央銀行アメリカの発明ということになるのか、何故アメリカで行われた日系人強制収用が唯一の当時の可能性としてクローズアップされるのか、書き手の無意識の前提が出ただけというもあるのけれど合衆国の特異な歴史(特に戦後は日本との)を考えた方がいいのかもしれません*7、なおこのエントリーも *8

ヒトラーの抬頭―ワイマール・デモクラシーの悲劇 (朝日文庫)

ヒトラーの抬頭―ワイマール・デモクラシーの悲劇 (朝日文庫)

 P289 ワイマール期の社会民主党の内相ゼーヴェリングに対する、次官アベックの批判の山口氏による要約(をさらに抜粋)。「保守反動派との対決において、しばしばドイツ民主党より頼りにならなかったということ〜そうした社会民主党の行動様式の根底には実は「大衆に対するひそか恐怖心」があったこと」

 現在においては(特にネットをやっていると)他人事ではないですね。実は大衆こそ大衆への恐怖を持っているというのは厄介です*9



 最後に指摘したいのはジェントルマンの没落とナショナリズムレイシズム(人種主義)の関係です。イギリス帝国が危機を克服するに当たって、そして社会の容赦ない変化に迫られて選挙権の拡大が行われ、自覚的な国民がようやく形成されていきます。このときに帝国意識をもとに国民が編成されていったという事です、すなわち(非植民地の)イギリス帝国住民の準ジェントルマン化が行われ、彼らのアイデンティティが植民地の住民(非人間)ではないことによって定義付けられるれるようになったという事です(これは統治者の側でも進行しており、白人を相手にしたボーア戦争でインド兵を動員できないということが起きてしまう)、このことはイギリスの社会に「支配の代償」として残り続ける事になります(サッチャーはまさにその最悪の遺産であり、はっきりと意図的に「ナショナル・フロント」などに集まっていた「帝国意識」を動員したということです、さらにいえば彼女の新自由主義政策は国内植民地化であるともいえます、いずれにせよ「ジェントルマンの帝国」の後継者たらんという意味で彼女は一貫しています)。


支配の代償―英帝国の崩壊と「帝国意識」 (新しい世界史)

支配の代償―英帝国の崩壊と「帝国意識」 (新しい世界史)

 外交政策に関してもきちん検証しています。言われるのと違って、フランスより多少うまかっただけのようです。それに、サッチャー反動を招いて、合衆国とと一体化しつつあるのは帝国がまだ続いているということでもあります。


 というわけで次の本の特に前半を読む上での参考になるのではという意味でこのエントリーは書きました。現実の歴史と照らし合わせるうえで国は違うけれど面白いと思いました。

『国家とはなにか』

『国家とはなにか』

 このような書評もあります*10

 
 ロックに関する議論は、稲葉振一郎氏と萱野稔人氏の対談企画での稲葉氏の発言を基に着想しました。また、現代思想11月号の市野川容孝氏の文章「暴力批判試論」からも示唆を得ました、現在において「議会主義」を擁護しようという文章に対してどのような「議会主義」を擁護してはいけないかという私なりの補足を(歴史的事実を含めるため)「ジェントルマン」という言葉で表そうとしたわけです。もちろんこの補足は自分は人間だと信じて疑わない、あるいはそう信じないと生きていけない人には全く余計でしょうけれど。普通選挙による議会制の歴史は短いものですがそれ以前の議会制(あるいは「自由主義」「法の支配」)への郷愁は絶たれるべきだと思うからです(もう一つ、19世紀の後半からの民主主義の定着によって「表象」の政治しか我々が行えなくなったのではないか、そもそも普通選挙の対象となる人々というのは近代世界がいわば「余り」として産み出したのではないかという問いがあるのですがそれは後日)。現在、必要なのは「民主主義」を「自由主義」から守ることであると思います。「この事実(ナチズムへの加担)を省略したシュミット論は、それが何であれ、愚劣である」p235という言葉をうけて、最後にヒットラーの言葉を引用します、「ソ連は我々のインドである」。*11 *12

現代思想2005年11月号 特集=マルチチュード

現代思想2005年11月号 特集=マルチチュード


 追記・これを書いていて少しブレアに好意的になりました、北アイルランド和平や彼のスコットランドウェールズの分権化政策は歴史を見る限りやはりよい事でしょう、イラク戦争への参加を免れなかったのは彼自身と共にサッチャーと帝国の歴史のせいでしょう。
 追記(21日)・かなり一方的かつ、単純化して書きました(特に後半)、女性の問題を全て落としたのは、軍隊という問題が出てくるからです、普通選挙たって男性の事ですから。さらにジェントルマンという存在に注目したのは彼らの道徳と保守のモラルが歴史的につながっているのではと推測するからです*13

 さらに追記(06/2/26) 読んでなかったので知らなかったけれど、このような議論もあッたうえで書かれたようです*14、とりあえず。

 追記(12月17日)

 こういう関連のあるエントリー*15が出たので追記、私が第一時大戦を書かなかったのは正直言ってこれ以降と現代の対応がきちんと(私が勉強してないからですが)できなかったからです。「国家とはなにか」でも最後が現代に当てられているわけですが、このエントリーではそこは断念しました。まあ、ボーア戦争イラク戦争の対比ぐらいはしています。これまたこのエントリーでは省略しました、イギリスの反ジェントルマン的異端者の興味深い一人、ラッセルはボーア戦争中に反戦論者に転向して、第一次大戦に反対して牢屋に入ったりしたわけです。そういうこともあるから、(ホブソン・レーニン的な)「帝国主義」を(現代の)新自由主義に暗に対応させていたのは確かです。私はジジェク大嫌いなのですが、彼がどこかで共産主義の犯罪は存在するが、資本主義の犯罪は存在しない、なぜなら資本主義の体制の元で起こる犠牲は「自然におきる」正当な(仕方がない)犠牲だから、と書いていたことを思い出します。でこのエントリーは、ジジェクが皮肉った「自然におこる」「正当な犠牲」ってなんだよ?って意図で書いたわけです。「正当な」の部分をどのように範囲付けるかが本当は問題なんだということなんですが...(上記の解体社についてのメモも参照)。その点では本当は立場が違う事を確認することの方が重要でしょう、一つには新自由主義(そんなものはないというのも一つの政治的立場)は許容しえる事なのというみもふたもないことです。もちろん簡単に思える事が一番大変ではあるのです、立場の違いを語るときに私にはレイコフのモラル論*16という特殊な前提があるのも確かで。ついでにもう一つビラまきについて書き込んでおります話がどんどんずれていってますがw、コメントを読むには一度ブログのトップにでて再度コメント欄をクリックして読んでください。*17

追記9月6日一年後に関連でということです*18