ハンセン病訴訟(韓国と台湾の元収容者に対する二つの判決)(追記7日)

 なんだこれはというしか感想の言いようもないのですが*1。法的なことはきちんとした解説を探すしかないな。とりあえず、今すぐに事態を進展させることができるかは政府側の判断(控訴するかどうか)にかかっているわけですが、4年前に小泉が人気を得たのはやはりハンセン病訴訟でしたね、靖国で愚かな騒動を起こしたのだからここで控訴しないのは合理的ではあります(いかにも甘すぎる気もしますが)。それを期待するのは悔しいけど合理的なのでしょう。この「悔しい」という感情は不合理で筋が通ってないけど確かに(私には)存在する。この訴訟がこの国の歴史と法にとって本当は切迫した「rest」であるように、私にとってかすかではあれ切迫した「rest」なのでしょうか、そんなことを考えます。
 
(追記)二つの判決が出たことに衝撃を受けてやや動転していましたが、よく考えると事態は最悪ではないわけです。しかし、二つの判決が出たことは非常に居心地の悪いことではあります。実のところ「裁判官」は「自己の良心」に従うことになっているわけですから、アレは「良心」が現実に示されてしまったという珍しい(しかし、常に起こっているはずの)事なわけです。この「良心」というものは、デリダなどが指摘する法に入ってしまうトートロジー(合衆国独立宣言における「創造主」とか)だとみなすことはできるのではないでしょうか、そう考えれば文字通り「政治」がここで容赦なく出てしまうことは(私などにとっては)当然わかっていなければならない事であるということになります*2。しかし、アレを「良心」と呼んでしまうことに非常な戸惑いが感じられます、もちろん片方だけならば安心してそう呼べるのですが。そしてその結果呼び出された「政治」はなんせ小泉ですから…。理論的には平然と口にできていた「政治」が現実に現れるといかに気色悪いかということ(しかもそれは理論上は当然であること)はいまだに収まりがつかない、上演の題名に引っ掛けたぐずぐずの文章はそういうことではあります。しかし、補償は進んで欲しい時間も無い(単に甘いだけかもしれないとまた思う)。

 (追記)明日が控訴期限だそうです、前回はせざるを得ない状況だったのですから彼である必然は何もなかった、人間は生きていればめぐりあわせで良いことをすることもある、たとえそれが変人(徹底したナルシスト)であるがゆえにであってもということを首相には示して欲しいなと思います、つくづく甘いと思うべきなんでしょうが。

法の力 (叢書・ウニベルシタス)

法の力 (叢書・ウニベルシタス)

*1:http://www.tokyo-np.co.jp/00/sya/20051025/eve_____sya_____000.shtmlhttp://www.asahi.com/national/update/1025/TKY200510250096.htmlhttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20051025-00000029-mai-socihttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20051025-00000035-san-socihttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20051025-00000025-san-socihttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20051025-00000079-jij-soci

*2:http://thought.ne.jp/luhmann/baba/gj/gj00.html、ある意味で私にとっては原点みたいな文章です、この頃は「存在論的郵便的」も「法の力」も本になっていなかった、まあ政治というときはむしろここで批判されているムフなどがむしろはいるわけですが