(10日追記)ブクオフで買いました。

比喩によるモラルと政治―米国における保守とリベラル

比喩によるモラルと政治―米国における保守とリベラル

 数年前から貸しっぱなしだったこの本、ブクオフの半額で衝動買い、おおよそ政治や社会に多少でも関心があればぜひとも読むべき本、知っていて読まずに(あるいは内容を理解せずに)発言する人が理解できない。なぜ、話が通じないのか「本当に」分かる本です。例えば、リバータリアン自由至上主義者)が保守に近いといった理屈では言いづらいけど感覚では分かることが明晰に説明されている、それだけでも面白い。

 エピローグから核心的なフレーズをいくつか(少し表現を直して)抜粋。『保守とリベラルの政治的立場を争点ごとに比べるのは不可能である。家族のモデルに基づいたモラルの無意識の全体像に照らしてみる必要がある。それぞれの立場は反対のモラルシステムを前提としているからである。』『モラルのコンテクストでは政治的立場を説明する中立的な概念や言語というものはない』『言語が中立だと考えられているので、通常の言語使用が、議論している一方を不利にすることはないと考えられている、これは間違いである』『保守には、自分たちのもの以外に筋の通ったモラルの世界観は存在しない』『明確で合理的なテーマ別ディベートは常に不可能である』『リベラルが今までのスタンスにこだわるのなら、保守の言論にモラル面で対抗した強い言論を築いていく望みはほとんどない

 いくつかの章のタイトル。第1章「こころと政治」第4章「モラル会計」第5章「厳しい父親のモラル」第10章「社会政策と税」第11章「犯罪と死刑制度」第14章「キリスト教の二つのモデル」第16章「どうして国を愛し、政府を憎めるのか」第17章「リベラルと保守の種類」(フェミニズムの問題など)第20章「イデオロギーに関係なくリベラルであるべき理由」第23章「基本的な人間性」。

 ちなみにここでの保守とリベラルは合衆国におけるごく普通の政治的対立を基本にしています、古典的リベラリズムとモラルリベラルには明白な違いがあります。しかし背後にあるモラルシステム(これは段階的に異なったいくつものバリエーションを持つ)の対立は日本にも援用可能です(日本の左翼にはモラル保守としての要素がある程度あることはこの本から逆に理解できる)。

http://www.rockridgeinstitute.org/
 ジョージ・レイコフはかつてチョムスキーと同僚だった(しかし今は大変仲の悪い。しかし、どちらもラディカル・リベラル)言語学者です。生成文法の分派に当たる生成意味論を主導しています、主著は「認知意味論」、最新著はジョンソンとの共著「肉中の哲学」、上のアドレスは彼が定期寄稿しているページです。この本は、第2版が合衆国で出ており、簡略版がこのページから手に入ります、英語のできる方はどうぞ(私はできない)。私の知っている唯一の日本語で読める社会的発言の文章は現代思想2001年10月臨時増刊号「これは戦争か」に収録されています*1

 なお、私は書籍はアマゾンでは買いません理由は今週のSPAの中原昌也氏のコラムに書かれていることと同じです。

追記・(11月21日)こちらでも議論と詳しい紹介をしています(http://homepage.mac.com/biogon_21/iblog/B1604743443/C1172174836/E975889914/index.html)。

gachapinfanさんのスクラップブックへの書き込み。

 
 このエントリーはこの書き込み*2から調子にのって作りました。私としては異例ですがトラックバックを送った上でコピペします。なおこのエントリーも参照にしました*3

# NakanishiB 『>提言政策は暗黙に貧困国とされる敵性国家北朝鮮への支援に繋がる(ホワイトバンドの問題点)
 なるほどねー。

 寄付の問題ですが、寄付やボランティアによって社会問題に対処するという発想は基本的に「保守」のものです。それはネット上でも見て取れますが、基本的には、保守の価値観の基礎からきています。自己規律により富を勝ち取った「強者」の金を取り上げて、自己規律の不足によってそうなった「弱者」に与えるのはモラルに反する悪であるわけであり、モラル的秩序を損ないます。モラル的に高い「強者」がモラル的に低い「弱者」に自らの意思で、秩序の維持のために「施し」をすることは推奨されるわけです。(レイコフ・「比喩によるモラルと政治」10章「社会政策と税」からパラフレーズ)

 これを国の問題に置き換えれば今度の騒動となるわけですが、日本が豊かであり日本人が発言していることがことが前提ではあります。確かに規律が緩んでいるような。

 ニューオーリンズの被災者が同情されるべきでないのは、貧困層はモラルの低い人々であるから貧困のままスラムに住み、自己規律に欠けているから災害時に適切な行動を取れなかったからです、彼を助ける必要はありません。それを疑って政府を非難する人々はモラルに反した邪な意図を持っているのです。あるいは、社会的な資源は限られている、その限られている資源を裂くのは優先順位があります。イラクで人質になった人々は自己規律に欠けている上に、悪しき考え(保守のモラルに反した価値観)を持っている人々です、このような人々のためには資源を使わない(罰する)ことがモラルに適っています。(ついでに付け加えれば、この考え方を進めれば更なる非常時にはモラルの低い人々を排除する必要もでてくるでしょう、しかしそれは「正しい」のです)

 以上具体的なことをかなりそぎとって極端な例を出しましたが、人間は大きく異なったモラルのシステム(保守とリベラル、しかしそれらは緩やかにつながっておりさまざまなバリエーションを含む)を持っており、表現において同じ言葉を使っていても実は背後にある意味は全く異なっているし、思考には必ずモラル的バイアスがかかるというレイコフの理論の応用です。ポリティカルコンパスの百倍は役に立つと思います。ただ、コンパスは「ネタ」だからこそはやったのでしょうが。もちろん具体的には、「ほっときたい」は追い詰められた人のモラルの弛緩によるとみるか、保守のモラルの日本における圧倒的優勢の現われとみるか微妙であるようにこの基準のみで解釈しきれるものではありませんが。

 貸しっぱなしにしている本をブクオフ(半額)で買ったのでちょっと紹介してみました。失礼しました。』