『ブン殴って犯すぞ』5日6日追記08/9/22、リンクの貼りなおし他修正・11/12/20修正

 タイトルは新潮9月号の中原昌也氏の小説からとりました。この小説は私は都知事閣下(以上に彼を甘やかす連中)への嫌がらせだと個人的に思っています。

 私は利用できるものは何でも利用する人なので、宣伝にはゴミも利用します。しかも、感情的になっているので私の周辺の人の迷惑(ビル・ゲイツ並の金持ちを相手にしているなら考え直すけどw)も考えません。

 http://d.hatena.ne.jp/dojin/20060904#p1
  ここに登場する山形と称する人物の書き込みです。


 レイコフの『比喩によるモラルと政治』は私の政治や社会に関する思考を深く決定しています、自らのと異なった考えを持つ人がいるが何とか認識できるようになりました。おかげでかなり独断の癖を抑えて(ということは読んでなきゃ山形と同類)*1、「認知的不協和」を抱かせるような議論もそれなりに読めるようになってます。で、何度も書いてますが、宣伝です。

比喩によるモラルと政治―米国における保守とリベラル

比喩によるモラルと政治―米国における保守とリベラル

 ネット上ではこれについてはとりあえず、この解説を。

http://homepage.mac.com/biogon_21/www/lakoff.html *2 *3 *4

 私自身も何回か書いています http://d.hatena.ne.jp/NakanishiB/20050904/1126302490(引用はこちらから) http://d.hatena.ne.jp/NakanishiB/20060404(こちらは宛先まで同じだ)。でこれら以上に書くことは特にありません。要約すれば、人間が個人や社会について思考するときには、論理的推論の以前にメタファーに基づいた、認知的システムを介して思考しているということです。この認知的システムは、レイコフの言葉で言えば、大きく保守とリベラルの二つに分かれています、この二つのモラルシステムの違いはモラルの内容の違いではなく、どのモラルを優先するかということが重要な違いになっています。それゆえモラル的なバイアスの存在が常に議論の前提となるということです。モラル保守の思考の特徴については、面倒なので自分の文章を引用すると。

しかし、レイコフによる「保守のモラル」の特徴は、善と悪を峻別し、(個人の)内部的悪、外部的悪に対する「モラル的強さ」を最重要視することにあります(これはさらに展開すると本質的規範とみなされたものからの逸脱の峻拒です)。この特徴がモラル的に弱いことをそのまま悪とし、「排除」を生むわけです

 このような特徴を持っているからといって、モラル保守の人が即ナチ野郎であるわけではありません。むしろ、言葉の一番そのままの意味での保守性とあわせてきちんとバランスが取れている人が大部分です、そこは実は重要です。ですが

そうせずに「共産主義」(この場合は非科学性も意味する)の徴候(それが事実であっても)を見つけ出して自分勝手に納得してしまうのは愚かなことでしょう。違ったモラル(立場)が存在する、そしてそこから現在取りうべきことの解答が(モラルによって)複数あるという結論を導き出す可能性がある。そのような認識が強いる認知的不協和に耐えられない「弱さ」を感じるのですが。ただ、多くの人がそのような「弱さ」を共有しているのが今の日本じゃないでしょうか、その意味では「これでいいのだ」w。

 このような現状も存在するというか、それにあわせた例も増えてきてるようです。今回も基本はそれだけです。とりあえずこの寄付についての今回の発言は仰天した。

山形
『ふーん、障害者がそこまで図々しい考え方をしているなら、そっち方面の寄付を今後減らすことにします。ありがとうございました。』

*5
 まあ基本的にはかつて私がパラフレーズして書いた「寄付」と保守のモラルの関係そのままなんですが。

寄付の問題ですが、寄付やボランティアによって社会問題に対処するという発想は基本的に「保守」のものです。それはネット上でも見て取れますが、基本的には、保守の価値観の基礎からきています。自己規律により富を勝ち取った「強者」の金を取り上げて、自己規律の不足によってそうなった「弱者」に与えるのはモラルに反する悪であるわけであり、モラル的秩序を損ないます。モラル的に高い「強者」がモラル的に低い「弱者」に自らの意思で、秩序の維持のために「施し」をすることは推奨されるわけです。(レイコフ・「比喩によるモラルと政治」10章「社会政策と税」からパラフレーズ)

 これを国の問題に置き換えれば今度の騒動となるわけですが、日本が豊かであり日本人が発言していることがことが前提ではあります。確かに規律が緩んでいるような。

 ニューオーリンズの被災者が同情されるべきでないのは、貧困層はモラルの低い人々であるから貧困のままスラムに住み、自己規律に欠けているから災害時に適切な行動を取れなかったからです、彼を助ける必要はありません。それを疑って政府を非難する人々はモラルに反した邪な意図を持っているのです。あるいは、社会的な資源は限られている、その限られている資源を裂くのは優先順位があります。イラクで人質になった人々は自己規律に欠けている上に、悪しき考え(保守のモラルに反した価値観)を持っている人々です、このような人々のためには資源を使わない(罰する)ことがモラルに適っています。(ついでに付け加えれば、この考え方を進めれば更なる非常時にはモラルの低い人々を排除する必要もでてくるでしょう、しかしそれは「正しい」のです)

 ですが、昔はまともな人間性を持った保守は決して引用したような発言はしませんでした(曽野綾子他ごく少数は別だけど)、やはり明らかに状況が変わってきたのでしょう。ですから
>山形さんに何を期待してるんですか?山形さんは頭は良いですが、オレ様至上主義の口の悪い嫌みなコメントをよく残す厨房ですよ。山形さんから情のあるすばらしい発言を聞けると思うじたい間違い。
 ブクマにあったこのような意見は間違いです、これはネット的シニシズムによって温存されてしまう問題だからです*6 *7アイヒマン人間性を期待するなというレベルまで強く書いているなら別ですが。
  
 ではこのような行動は類例があるのでしょうか?、例えば、明白に労働者階級のすぐ近くに位置される階級から一代でサッチャーは首相になりあがり、保守党内のウェット(=たいてい上層出身)を忌み嫌っていました*8。一生懸命、クイーンズイングリッシュを覚えた彼女のような明白な背景があるのでしょうか、それは私には材料がないので判断できません*9。ですが唯一判断できるのは、この山形と称する人物が少なくともサッチャーのような歴史において「取替えのきかない人物」ではないことです。この違いは決定的ですがこれを埋められれば彼は少しは幸せになるでしょうね。

 余談ですが、私がかつてネット上で大変迷惑をかけてしまったある方がおりまして、その方のT塚校長と都知事閣下と曽野綾子について書かれたエッセイはここまでのことを考える上で有効な補助線になるのではと思います。

http://odajiman.net/diary/20001001.html (10月2日)
*10

 とはいえ、私は今回は確信犯で「小泉的な、あまりに小泉的な」の一部としてこのエントリーを書いたので、これはあくまで現代のモデルケースの一つです、その他の小泉関係(ファシズム関係)エントリーとあわせてお読みください。現在では(昔から)「中道」はファシズムの自称なのです。あとおまけ*11

限界の思考 空虚な時代を生き抜くための社会学

限界の思考 空虚な時代を生き抜くための社会学

 『嗤う日本のナショナリズム』が書かれた過程と平行しているし、対話を持続するという意味でも参考に。

『国家とはなにか』

『国家とはなにか』

 政治と国家と所有について。

 追記6日

 少しだけど調べてみたら、この「暴言」(だから都知事閣下を出したのです)に関するネット上の反応はほとんどありませんね、まあ知名度も低いし、公人じゃないししょうがないのでしょうが…。このエントリーはかなりひねくれて書いているのでもっときちんとした疑問点へのテンプレが必要でしょう、誰か障害者介助などの関係に従事している方お願いします(~_~;)(私は周りにいるレベルなので…)。実は、コメント欄でlakehillさんの質問の後半をわざとエントリーの言い換えで答えたのもあくまでレイコフの議論の視点に徹しようと思ったからです。それでも、このエントリーだけでも私が何に怒っているのかはわかると思います(一つだけ書くと障害者介助に従事している相手に対して、単に議論のための仮想された障害者の言動を理由に障害者への寄付をどうすると書き込むことが普通に下劣だと思ったのです、書いても無駄でしょうが)。とりあえず、私のコメントが何を言っているのかわからなかったではまずいので、疑問への答えとして、わざわざわかりやすく書きこんでくださったApemanさんの書き込みとともにここに掲載して簡明な説明とします(何故、口を挟んだのかやっとわかった<(_ _)>)。

lakehill
 あと、山形さんが障害者に対する寄付を増やそうが減らそうがそれこそ山形さんの勝手でしょう?山形さんに障害者に対する義理や義務があるのでしょうか?寄付金を減らすことがモラルに反するとか法を逸脱したりする行為なのでしょうか?多くの人が私も含め、障害者に寄付なんて1銭もしてないのですから、その多数の人よりも山形さんは寄付している分よっぽど障害者の役に立ってると思いますがねえ?そういうわけですから、山形さんのコメントがひどいとは感じませんが.....

apesnotmonkeys
>山形さんが障害者に対する寄付を増やそうが減らそうがそれこそ山形さんの勝手でしょう?

 そりゃあ勝手です。N・Bさんには山形氏が支出する寄付の額を左右する権限がないという意味で、勝手ですね。しかし山形氏が「寄付を減らす」理由として語ったことについて論評することは、「山形氏が寄付を減らす権利」をなんら侵害するものではないでしょう。

>寄付金を減らすことがモラルに反するとか法を逸脱したりする行為なのでしょうか?

 このエントリをよく読めば、そういう問題でないことがよくわかるはずです。この論争の一方の当事者である内藤氏とのかつての論争でも問題になったことですが、内藤氏の立場は「寄付ではなく、公的支出(市民の側からみれば税金)」によって負担されるべき事柄がいっぱいある、というものです。対して、「保守のモラル」はなるべく多くの問題を税金ではなく「寄付」でやりくりしよう、というものなのです。「寄付を減らすことがモラルに反する」というのはむしろ「モラル保守」の観点なんですね(そのことは、このエントリをちゃんと読めば分かるはずです)。左派(アメリカ的にはリベラル)は、寄付に依存せずに公的支出で手当てせよ、と主張するのですから。

ま、もちろん山形氏ががビル・ゲイツ並みの金持ち(障害者の生活にとってに取替えのきかないような金を出している人)だというなら、この問題のコメントに関しても黙っていましたが…。

やれやれ
http://d.hatena.ne.jp/tanakahidetomi/20060905#c1157503322

もう一つトラバを送ったのでその関連*12

*1:ここでははじめ「読んでなきゃ」のあとに「完全なDQNだ」という言葉を使っていましたが、この言葉は偏見を基にした差別的言葉づかいだと指摘されたので修正します、現在、この言葉(DQN)は少なくとも批判の文脈では使うべきではないと私は思っています、さらに調べて付け加えることがあれば追記します

*2:http://homepage.mac.com/biogon_21/iblog/B1604743443/C1240585619/E768062631/index.html

*3:http://homepage.mac.com/biogon_21/iblog/B1604743443/C1437265980/E975889914/

*4:http://homepage.mac.com/biogon_21/iblog/B1604743443/C1534355107/E20060710101712/index.html

*5:http://d.hatena.ne.jp/dojin/20060904#p1

*6:http://homepage.mac.com/biogon_21/iblog/B1604743443/C1534355107/E20060226222550/index.html

*7:http://homepage.mac.com/biogon_21/iblog/B1604743443/C646496243/E20060529225433/index.html

*8:http://d.hatena.ne.jp/NakanishiB/20050913/1126552205

*9:http://homepage.mac.com/biogon_21/iblog/B1604743443/C1534355107/E20060902180750/index.html

*10:リンクが切れていたのでつなぎました

*11:http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20060826/p4 ちなみに私はブログをつくって以降相手に先生とつけるのは基本的に軽蔑の意を表す時です

*12:http://d.hatena.ne.jp/NakanishiB/20051120/1132435884