特別エントリー(1月8日追記・修正・10日、11日、19日、20日追記)

 早稲田大学での逮捕事件について、id:TONKATSUさんのところに書き込みをしたところ、そこに先に書き込んでおられた、わ。さんから、不愉快であるという抗議をいただきました。私の書き込みは明らかに、わ。さんへの当てこすりを含んでいたので、他人のブログでのそのような挑発は反省しております。ですが、わ。さんの発言内容及び、抗議の一部分についてははっきりと批判があります、それについてのエントリーを作ります。とりあえず、わ。さんはご希望ならここに書き込んで議論してください。

  『どうもはじめまして、とんかつさんご迷惑をかけます、私はめったに(去年は入らなかった)構内には入らないけど、これがあるので(http://www6.ocn.ne.jp/~tagawakn/)今年は大学構内に入らんといかんのですね。しかも私は署名までしてしまっている。所属する早稲田大学を愛する、わ。さんは私が構内に入ることに不安でしたらしかるべき処置を上にお願いした方がいいですよ。私が今から受験しても間に合わないので。』 (2006/01/06 19:10)

 これは私が最初にした書き込みです、わ。さんの私に対する抗議は、

 『あと、他人のサイトなので、あんまりグチグチ言うのもどうかと思いましたが…正直ムッときたので。
>NakanishiBさん
>所属する早稲田大学を愛する、わ。さんは私が構内に入ることに不安でしたらしかるべき処置を上にお願いした方がいいですよ。私が今から受験しても間に合わないので
まー、ずいぶんご丁寧に。。。(−ω−;
講演だ何だというまともな用件の方は許容するという立場なのですけれども。心外でございますです。 部外者(学生、教員、職員以外)は政治的主張などせずに郷に従ったらどうなのでしょうと思っておるだけなのですがねぇ。。 …しかるべき処置なんて事を持ち出すなんて、暴力行為でも働くおつもりなのでしょうか。』

 これに対する私の返答は、次の通りです、

『>わ。さん
 というわけで、よそから首を突っ込んだ事は失礼しました。ただ書き込み内容に関して撤回する事など何もありません。
>…しかるべき処置なんて事を持ち出すなんて、暴力行為でも働くおつもりなのでしょうか
 わ。さんがこのようにおっしゃる根拠も大変気になります、あのような書き込みをした理由も自分のブログで書きましょう。したがって、これ以上の私とのやり取りは私のブログのコメント欄で行えばいいと思うのですがいかがですか?。』


 該当部分だけを引用するよう勤めました、全文及び、コンテクストは、http://d.hatena.ne.jp/TONKATSU/20060106 でお確かめください。なおこのエントリーは事件についての私の見解を書くエントリーともなります。わ。さんがコメントを書くか書かないかにかかわらず、追記されることをご承知ください。それは、わ。さんの反応が典型的な問題点を示した反応だと思うからです。ちなみのこれ以前に私が関連テーマについて書いたものとして「ここ*1」のコメント欄でのやり取りをできれば前提として参照ください。さらに関連の深いエントリーは、ここ*2、少し遠回りだけどここ*3、ここ*4でしょうか。

 では、とりあえず上記のコピペよりもう少し詳しい批判(弁明)です、第一に、わ。さんの反応は自らの不安を一貫した根拠にしています。そして、大学の自分たちの排他的領域としての確保を主張し、親密な人間(この場合はTONNKATSUさん)とそうでない人間を区別しようとしています。しかし、わ。さんの区別は、わ。さん意外には実のところ意味を持ちません、形式上、学外の人間である事は、逮捕された人も同じだからです。それゆえ、わ。さんは当該大学に所属するという「体制」の保障に依拠しようとしています。さらに政治的主張を外の人間が行うことを否定しておられます、「政治的主張」のわ。さんの定義はなんでしょうか?『郷に入らば郷に従え』という主張はすでにして政治的です、どの範囲までを『郷』の中の人間とするか『郷』の内実や意思決定をどう行うかは政治的です。そして書いたように郷の内と外の区別の論拠をはじめは親密性に、続けて『学生証』という体制の保障に求めています。さらに、わ。さんは『郷』の排他的に正当な成員であるとして振舞っています、『郷』の一員としての意見と排他的に正当な成員としての意見は違います、排他的に正当な成員が誰でその代表を誰がどうやって務められるのかは政治的問題です、それに関する主張を、わ。さんは公開の場でしてしまっています。それは立派な政治的行為です。政治的行為・主張におけるこのような無自覚で親密性や権威に寄りかかった態度を(参考記事や付記の通り)私はそれを「ファシズム的」であるとみなします。当てこすりはそのような認識のもとに行われました。ちなみに、私の署名理由の一つは「隣人であること」です、ここ*5で確かめてください。

 第二に、私が「署名」している事を私は書き込みで明記しています。つまり、わ。さんおよび、大学の当局の一部と政治的対立関係にあるわけです。わ。さんが部外者であると考える政治的対立者に対してなさった主張はコメントでは、(対立する)政治的主張をするなしたら警察を導入する可能性を排除しないというものです。そして、私のような政治的主張をした人間が構内に入ることはそれ自体で政治的主張であり行為です(政治的主張を拡充のしすぎだというなら、私が身分証を提示する気などはないことは推測がつくでしょう?、これだけで政治的主張・行為ですね)。紹介したエントリーの講演会の趣旨と更新された「今日の一言」をご覧ください、これは確実に政治的なものです。政治的主張をそこで私がする可能性は大いにあります(許可されたというのは言い訳になるとすれば主催者が政治的なことを一切行わない、身分証の提示を義務付けると確認した場合に限ります)。以上、政治的主張及び活動をする可能性はあるわけです、私が、わ。さんがしかるべき処置を要請するはずと推測した理由はわかりますね?。では、わ。さんが私が暴力的行為をするという根拠を示してください。

 以上の理屈は極めて政治中心的ですが、公共性とはこのような多様なレベルでの対立がある(多様な政治が存在する)中でいかに共存し全面的な対立と混乱を避けるための機能としても存在します。政治と公共性の問題を抜いて「第一にそこに関係する人」など存在しません。そのような理由で大学においても公共性が問題になります。大学が小学校と同じように保護されたなかで教育されるのが全てとお思いなら公共性などたいした問題にならないでしょうが…。、

なお
>自分は皆さんみたいに頭も使わないし、表現活動に関わっているわけでもない
 ということを書くことは自らの「正しさ」を自分が「普通の人間」である事を理由に(本質主義的に)遠回しに主張することであることはここをご覧ください*6

 付記・mixiでのコメントを修正の上アップします。先に紹介したエントリーや、やり取りのエッセンスだとお考えください。

 問題は、mixi上に直ちに現れた現状追認意見ですね。まあ、事態から距離をとるために一般的な「モラル」や「常識」を賢しげにあれこれ持ち出して自分の優越の確認と事件の無害化を図るというのはありそうなことです。そういう人々の特徴は親密圏の安定の確保が最優先になることです、親密圏を尊重する者であるということにおいて同一性を確認しあうものたちの、この倒錯した自覚なき共同体は、明らかに現在の個人化された社会状況における個人への過重圧力とそれによって生じる不安の否認です。それゆえ不安の消去のために自分の正しさとその社会の正当な一員である事を保障してくれる「体制」への絶対的な服従を志向するわけです。まあとりあえず問題なのは、やはり政治的対立というものは抜き差しならない具体的なものとして外から突然あらわれることがこの社会では完全に忘れられているということでしょう。ではどうすればいいのかというのは難しいし、私自身躊躇して妙な事をしているのだけれど。政治が消去された社会とは、全体主義自由主義の社会(リバータリアンが政治なき思想を自称している事を想起ください)ということになるんだけれど、その状態にはには実は人間はたどり着けないわけです。民主主義の中からでそこへ向かう運動というのがファシズムなのです、現在出ている上記のような意見や一部の論調というのはその意味でファシズムなのです。そういうことについてもう遅すぎるとも思いつつ何とかしなければと考えております。

追記・8日
 このエントリーを立てた意図は、そもそも、わ。さんの批判に対して答える事にあります、TONKATSUさんとわ。さんの関係と、私との関係は違いますからここで独立して行った方がいいと判断しました。しかし、同時にわ。さんの発言が現在の社会意識の典型的な一つを現していると判断したので、そのことについてのこれまであちこちでしてきたの議論の紹介とまとめと意見の表明も同時に行っています、わ。さんへの反論と明記された部分が最初の意図で書かれた部分であり、それ以外は後者の意図も交えて書かれています(ですから、わ。さんは後者は無視して反論してかまわないし、このようなエントリー構成自体を批判してもかまわない)、ご了解ください。

 なお、「半分絡む」という誹謗の表現でトラバするという形で「半分絡まれ」ました、繊細でない方は怖いですw。私は根がまじめなので「絡む」なら自分のしている事に自覚的にして欲しいと思うのですが…。

もう一つついでに書いておくと、例えば早稲田学長への公開質問状*7に斉藤純一氏が名を連ねているけど斎藤氏の政治(公共性)についての考え方と私とでは実はかなり違う(私と並べるのは失礼ですが)、しかし、この事件への対応では(ある程度)一致している、というわけでここで私が書いているのは一つの特異な意見に過ぎない、しかし、同時にその程度の広がりを持ってしまうような意味を持つ事件ではあるわけです、ほんとに余計な追記だけどわからない人がいそうだし。しかしこの質問状、文学部の所属者が一人しかいないw。

 追記・10日

 しかし、「繊細でない」というのはホントなんだなー、あちらでの9日の書き込みでの最後の追記は凄い。fenestrae*8さんの記事は面白かったのでリンクしときます、昨年のフランスの暴動のときの一連の記事はにあふれた愚劣な発言に対する毒消しとしても大変やくにたちました(最新のジジェクの翻訳も)。

 追記・11日

文学部側の、大学全体のページにはまだのっていない*9、通知*10が出ました、内部向けらしいし、(斉藤氏らの)公開質問状のあて先は文学部ではないのですから触れてもしょうがないのに、大学側はどうするのでしょう。私が、抗議ページ*11と読み合わせて、この文書から読み取る事ができた事をランダムにあげておくと、
1・すべての行動は(大学の他の部署への連絡無しに)文学部が行った。2・抗議ページでその有効性の消失を指摘されている、別の人物の4年前の(裁判所による)立ち入り禁止仮処分を必要もないのに掲載している(脅迫が理由なんだしなんで?)。3・被逮捕者による物理的暴力行為はいっさいなかった。4・警察の導入は事前に文学部で決定されていた。5・(警察ではなく)教職員による身柄拘束があった事を記述していない、この二つは緊急性に関わると(新聞に出てるのに…、間違ってたら抗議しなきゃw)。6・逮捕容疑と通報理由が違う。7『早稲田とまったく関係がない』どうもすいませーん。

 うーん、文学部という病というところです。「脅迫」かー、これだけではやはり具体性がないなー、具体的に語ってくれればかなり変わってくると思う、それに緊急性との整合はどうするのでしょうか、もはやそのような条件は必要としないというならぞっとしないな。発言レベルなら抗議ページの中にある「ある政治党派」に属しているとの公衆の前での決め付け発言もかなり犯罪的ですな、そのような発言が信じられた場合の被害は明白ですからね。どうも、抗議者側はそのような点を十分に指摘して批判していない、けれど司法をナイーブに(あるいは確信犯としてなら別ですが)信頼するのは率直にいってもはや難しいからある程度理解はできるけれど。*12。しかし、これで何とかなると思っているのならあまりにも内向きの文書だけれど裁判のことを考えているのでしょうか。ただ興味深いのは、これは映画のプレイベントでも、井土氏が述べてたし、映画で見られるけれど、2001年のときは双方が写真や映像を撮り合ってたわけです、そのような記録の山の中から何をどうやって取りだすか。この問題は先の注で話題になっている法執行の恣意性をどう押さえるかと関わるわけですが、むしろこのような記録のあまりの多さが恣意性を(色々なレベルで)正当化しているのではないでしょうか。その意味では非常に興味のあるのある事態でではあると思いますが。このあたりはまだまとまりません。

 まあ法的な問題や事実関係については、読んだ方は勝手に調べて考えてください。このエントリーでの私の立場がどうかは明白ですからそこは気をつけてください。

追記・19日・単なるネタ(さらに20日修正)

 うーん、やっぱり、前後の文脈が抜かれた発言を発言者が完全に特定できる形で*13書くのって賢くないよ、トラバでつないでしまってる以上、発言者にとっても(いろんな意味で)多少はデリケートなことと絡んでしまうのですから、それに立場からして「同じ意見」を抱く意味が全く違うのだけれど…。それにしても、大学教育の意義って何でしょう。ま、私もこれについてはこれ以上の発言は賢くないのに気づいたw。(ここからさらに追記ですが、筆者によるフォローが加わったのでとりあえず修正しました、発言者の経歴や専門やネットで読める文章からの推測したのとほぼ同じシチュエーションと意図だったので、こちらも一安心。しかし、ずいぶん重要な仕事をしている人を見逃してたのは私の怠けっぷりが出ているというべきでしょう、授業も面白そうですし)