消去(23日)

http://www.phouse-web.com/

 最近見に行った展示です。検索して見てきた人の記事を調べるとわかりますが、ギャラリーの一室にある箱の中に作品の作者の方がノック以外の応答をせずに25日間ずっと入っていたのです、私は出てくるところを見たのですが、その時の様子を見る限り本当に25日間入っていたと思います。それを見たことがどういう意味を持つのか計りかねているのですが。このウェブの中の、アメ ズさんのコメントは面白いので呼んでみてください。しかし、飴屋法水さんは率直にいって、「話」や「文章」を読むと抜群に面白いのですが(10年前に「ジ・オウム」という本で椹木野依や福居ショウジンと座談会をしていた時に注目したのですが)、作品そのものは思考同様徹底してコンセプトのみの人なので(今回の展示もこの本*1のインタビューとはっきり通底している、現実にはどういうものか一度見たかったのですが、なんせ「日本ゼロ年展」以来6年間作品を作っていなかったので今回が初めてなのですが。コンセプトのみで作品を作らざるを得ない「きつさ」がやはり強く感じられました。その結果として個々の展示作品と、彼の「現実の行為」としての作品の関係が微妙です。ここから、作品(ということは「芸術」)そのものに対する不信がはっきりとあるのはわかります。彼の「出現」(暗闇の中に長時間いて目が見えなくなっていた彼を観客が周りで見ているのはえぐいけれど「上演」の「究極」のようでした)ためは見事な演出だったわけですが、それは同時に強烈に「自己主張」を感じさせたわけです。これは同時にコンセプトだけのものを具体化する手段だったと思いました。ですが、それを見れなかった人が当然いることが前提ですから(初めは公開するつもりはなかったらしい)、では、見なかった人にとってのこの作品と作者の関係はどうなるのか、おそらくそれは「作品」と「現実」の関係を問うことでもあるのでしょう。この話は多分また、タイトルは「アート−コンセプト=?」ぐらいだと思います。

ジ・オウム―サブカルチャーとオウム真理教

ジ・オウム―サブカルチャーとオウム真理教

 中原昌也もこれで初めて読んだ。