そういうことだったのね。
はい、また行ってきました、経緯は前の日記のコメント欄参照。さすが平日の昼間だけあってしゃれにならないほど人がいない。だがどう考えても、それだけの理由ではないというよりなぜこんな時間に設定?新国立劇場の考えていることはさっぱり分からない、責任者出てこいといいたいけど、小泉では(芸術監督というのがいるそうだけど巨人の堀内みたいなものでしょう)。
えーと、「アルトゥロ・ウイの興隆」*1というのは、ヒットラーの台頭をシカゴのギャングのウイが市政を牛耳るまでに巧みにのし上がる話に置き換えたブレヒトによる戯曲を、かつてのDDR(東ドイツ)の劇作家のハイナー・ミュラーが95年に演出したものです。
で、台詞が分かると前とは違います、台詞に気をとられてしまう傾向があるけど前回観たからいいや。もっとも私が大笑いしてるところでみんな黙ってたりはする。前にビデオでも観たはずだけど、台詞が設定や筋の理解に決定的に重要なことはよく分かりました。ウイ=ヒトラー役のヴトケが鉤十字の格好をする有名なシーンの意味はやっと分かった(といっても私が勝手にわかっただけだけれども、なるほどここの台詞は「信念」かーと)。ジヴォラ=ゲッペルス、ジリー=ゲーリング、ローマ=レームの区別も今回ははじめから出来るし、後の決定的決裂の理由も分かる。あえて、イヤホンガイドに不満を述べれば、ラストの一つ前のシーン、ローマの亡霊がウイを呪うシーンの翻訳があまりに不十分なこと、シート婦人の台詞の翻訳は最小限に抑えるべきだったのでは?ドッグズバロー(市長)=ヒンデンブルグは台詞もこっけいでますます間抜けな人物になっている、このキャラが一番好きです(=嫌いです)。八百屋たちへの演説のシーンから、親衛隊の制服を着た男が服を脱ぐシーン(で裸になって片手を挙げる)はどうみてもリーフェンシュタールのパロディです。最後は国会議事堂放火事件をなぞる放火で暗転して裸の男が一人で片手をあげるなか、ヒットラーの遺言が流れるシーンはすばらしい、ぜひリーフェンシュタールに観て欲しかった(笑)。
まあ図式性は避けがたいけど、それを徹底しているところがえらいわけです、幕が閉じたときに客席側に残るわずかな細い空間が意識的に活用されているのは面白いですね。派手な事件はすべて基本的にここで起こるし。
ミクシー情報によると、ベルリンでの上演では舞台の前から後ろへ奥行きを際立たせるようにパースをつけて並んでいる列柱は実は観客席の後ろの方まで続いていたようです。で、それを書いた方によると、この上演の演出は軸線が重要なんだそうです、確かにそれはなるほどで、登場人物の配置など見事にそうなんです、図式性ともいえるけどそういう配置の中でヴトケの演技が生きるのは確かです。
で、気づいたのはもっとも重要な軸は例の細い空間なわけです、ここを軸にして舞台と観客席が折りかされた対称関係にあるわけです。八百屋たちが観客席にいる辺りさすがのブレヒト譲りというか。
まあ、ヴトケの演技については特に書きませんみんな語りまくっているし(笑)、怪我は大丈夫でしょうかというところで。いずれにせよ、ミュラーの演出は恐ろしく計算されたものですね。娯楽として見れて、その気になればいくらでも裏が見つかるのはさすがです、ある程度以上の筋は台詞が分からんとわからないでしょうけど。
ところで、シアターアーツの4号に「アルトゥロ・ウイ」のプログラムに載った「アウシュビッツは終わらない」というミュラーのインタビューと訳者の方によるこの頃のミュラーの解説、それにパトラーカの「現代史、ファシズム、そしてホロコースト」という論文が載っています。ミクシーで指摘されるまでど忘れしてたんだけど、今読むとミュラーの意図はほぼこれで分かります。ともかくひとつだけあげると、重要な場面で常に聞こえる列車の音が意味するのは実はランズマンの「ショアー」で執拗に繰り返される列車走るシーンと同じ明白なイメージ、絶滅収容所へ向かう列車の音でもあったわけです。どうりで原作と違って最後に回された登場人物紹介シーンでまで列車の音がなるわけです、さすがにうーんという感じです、これに気づいたときは徹底した悪意だなと感心しました。そんなことは観客に全く気づかせないよう努力した(?)、主催の新国立劇場は「ワンダフル」だというべきでしょう。で、パンフレットによると、ヴトケはこの上演を最後にウイはもうやめる意向だそうです、その場所を日本に選んだのはまさに慧眼です。
- 作者: A.I.C.T.日本センター編集委員会
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- 発売日: 1996/03
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参考図書
「ウイ」のテーマに関してごく入門的に参考になると思うのを最低限。
ひどいなー絶版だよ。いい通史なのになのに。
ヒトラーの抬頭―ワイマール・デモクラシーの悲劇 (朝日文庫)
- 作者: 山口定
- 出版社/メーカー: 朝日新聞社
- 発売日: 1991/06
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この本は長いナイフの夜(レーム粛清)をナチ体制の根本とする視点の通史。再版されました。
- 作者: ノルベルトフライ,Norbert Frei,芝健介
- 出版社/メーカー: 岩波書店
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(追加7・4)、これはドイツ企業とホロコーストについて。
- 作者: ベンジャミン・B.フェレンツ,Benjamin B. Ferencz,住岡良明,凱風社編集部
- 出版社/メーカー: 凱風社
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ある種の常識として、読まないと。「十字軍の思想」もいいです。(追記、この「北の十字軍」についてはアマゾンの書評を必読、衝撃です、私には判定できない、中身はしかし保証されてはいる)
- 作者: 山内進
- 出版社/メーカー: 講談社
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図書館でこれを探すのが一番いい?
- 作者: 成瀬治,山田欣吾,木村靖二
- 出版社/メーカー: 山川出版社
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実は一番いいかも?
- 作者: 山本秀行
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この本自体は実は未読ですが、ハイデガー・ナチ論争を踏まえて思想的な本を。思想的なファシズム論としてはアガンベンがやはりお勧めですが、ダットマンなんかもワイマールの思想の連関については重要だと。この辺については一番いいページはこれ*2でしょう。ホロコーストについてはこのページ*3のドイツ経済史のところが参考になります。
- 作者: フィリップラクー=ラバルト,ジャン=リュックナンシー,Philippe Lacoue‐Labarthe,Jean‐Luc Nancy,守中高明
- 出版社/メーカー: 松籟社
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あと、関連するものとして、やや意外なところでピンチョンの「V.」と「重力の虹」(未読)。特に後者はV2号がらみで、インタビューとかぶっています。
追記・「V.」の背景である南西アフリカドイツ植民地のジェノサイドについての記事です。これは貴重です。*4
まあ、プリーモ・レーヴィはとにかく必読。