クアトロガトスの上演

 私がまだ関わる前に作られたクアトロガトスの上演「in/out-there」*1 *2は3度目の上演ではじめて私は見たんですが、使われている石原吉郎の文章と目取真俊の小説『希望』は対照的な二つの文章が起こす摩擦もあったけど、石原吉郎の文章にどうしても納得できないものがあったんですね。レーヴィなどには感じないこれはなんなのだろうかというところで、私が一番気になっていたところを論じている文章を見つけたので引用します。

しかし、これで話は終わりではない。中島氏や他の批評家がまったく無視しているものとして、鹿野の無期限ハンガーストライキの意味がある。〜中略〜鹿野は、少女の生き方の重要性を直ちに見抜いたに違いない。それは、あらゆる偶然の僥倖を放棄する共産主義的人間の倫理の対極にあるものであった。ここで二人の倫理的立場は静かに激突していた。それゆえにこそ、彼はもう一度己れの原点に立ち返って、その真理性を検証しようとしてハンストを始める。〜中略〜その果てについに一転して自らの否定、つまり偶然性をありのままに受け入れ肯定する立場が、いったいいかにして出現するものなのか?我々にはわからない。おそらく鹿野自身にもわからなかったであろう。我々読者に、このハンストの意味が理解できないのは当然なのだ。

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 さらに、これはもしかしたら『希望』ともつながるかもしれないなと思うのです、非人間的であることを選ぶことという意味ではです。きちんとした議論ができないので今回は紹介だけです。


望郷と海 (ちくま学芸文庫)

望郷と海 (ちくま学芸文庫)

 
『希望』の収録されている、『沖縄/草の声・根の意思』*4はまぞうでは出てこない!